れ拒んだ。もっともそれでなくても、鯨類の保護のために、仔鯨を撃つことは法律を以って固く禁ぜられていた。親鯨でさえもその濫獲を防ぐためには、政府は捕鯨船の建造を、全国で三十艘以内に制限しているのだった。しかし、捕鯨能率を高めるために、監視船の眼のとどかぬ沖合で、秘かに仔鯨撃ちも犯す捕鯨船は、時折りあるらしかった。
根室の岩倉会社には、二艘の持船が許されていた。北海丸と釧路丸がそれだった。そして海霧《ガス》の霽《は》れた夕方など、択捉《えとろふ》島の沖あたりで、夥しい海豚《いるか》の群に啄《も》まれながら浮流《うきなが》されて行く仔鯨の屍体を、うっかり発見《みつ》けたりする千島帰りの漁船があった。丸辰流に言えば、その鯨の祟りを受けて、北海丸は沈没した。そしてもう、一年の月日が流れてしまった。岩倉会社は、損害にもひるまず、直ぐに新らしい第二の北海丸を建造して、張り切った活躍を続けているのだった。
丸辰の親爺は、酒に酔っぱらった砲手の未亡人が、客を相手に愚痴話をはじめだすと、きまって鯨の祟り――を持出す。そして話がそこまで来ると、殆んど船乗りばかりのその座は、妙に白けて、皆ないやアな顔をし
前へ
次へ
全32ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
大阪 圭吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング