主館《おもや》の露台《テラス》の方で、女中の、悲しげな、鋭い絶望的な叫び声が、不意に私達の耳に聞えて来た。
「まあ!……いったいどうしたんだろう。海の色が、まるで血のようだ……」
 私達は、驚いて窓の硝子扉《ガラスど》を、力一杯押し開けた。
 と――今までの灰色の、或は鉛色の、身を刺すような痛々しい海の色は、いつの間にか消え去って、陰鬱な曇天の下に、胸が悪くなるような、濃い、濁った褐色の海が、気味悪い艶《つや》を湛えて、一面に伸び拡がっていた。そして見る見る内にその色は、ただならぬ異状を加えて行く。最初は、ただ濃い褐色だった海が、瞬く内に、暗い血のような毒々しい深紅色の海と化して来た。
 不意に東屋氏が力強い声で始めた。
「これです! この物凄い赤潮です。こいつを深谷氏は恐れていたのです。皆さんもきっとお聞きになったでしょう? 昨晩のラジオのニュースで、黒潮海流に乗った珍らしく大きな赤潮が、九州沖に現れ執拗な北上を始めたと云う事を。そしてそのために、沿海の漁場、殊に貝類の漁場は、絶望的な損失を受けていると云うニュースをですね――。深谷氏もそれを聞いたのです。そしてこの、赤褐色の無数
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