など卵のようにひしゃいでしまう。その事を知っていた人びとはこの場合、炭塊一つが充分な兇器になり得ることに不審を抱かなかった。係長は持上げた兇器を直ぐに投げ出して、監督のほうへ蒼い顔を見せた。
 いままで固くなって立っていた工手が、始めて口を切った。
「あれからひときりついて、浅川《あさかわ》さんが見巡りに出られますと、私は器具置場までコテを置きに行きましたが、その間にこんなことになったんです」
 浅川と云うのは監督の名前であった。工手は古井《ふるい》と呼んだ。二人とも発火直後のまだ興奮のさめきらぬうちに、このような事件にぶつかったためかひどくうろたえて落着を失ってた。しかし落着を失ったのは、二人ばかりではなかった。平常から太ッ腹で通した係長自身が、内心少なからず周章《あわ》ててしまった。
 発火坑は一坑にとどまった。とは云えその問題の一坑の損害の程度もまだ判りもしないうちに、貴重な技師が何者にとも知れず殺害されてしまった。切った張ったの炭坑で永い間飯を食って来た係長は、人が殺された、と云うよりも技師が殺されたという意味で、恐らく誰よりも先に周章《あわ》てていたのに違いない。
 しかしやがて係長には、厳しい決断の色が見えて来た。
「いったい、誰が殺《や》ったんでしょう。こちらで目星はつきませんかな?」
 請願巡査が呑気なことを云うと、
「目星? そんなものならもうついています」
 と係長は向直って、苛々しながら云った。
「この発火事件ですよ……一人の坑夫が、逃げ遅くれてこの発火坑へとじこめられたんです。気の毒ですが、むろん助けるわけにはいきません。ところが、その塗込作業に率先して働いたのが丸山技師です。その丸山技師がこの通り殺されたと云うんですから、目星もつくわけでしょう。いやハッキリ目星がつかなくたって、大体嫌疑の範囲が限定されて来る」
「そうだ。それに違いない」
 監督が乗り出して云った。
 会社直属の特務機関であり、最も忠実な利潤の走狗である監督は、表面現場の親玉である係長の次について働いてはいるが、しかしその点、技師上りの係長にも劣らぬ陰然たる勢力を持っているのであった。巡査は大きく頷いた。監督は続けた。
「それに、アカの他人でいまどきこんなおせっかい[#「おせっかい」に傍点]をする奴はないんだから……峯吉と云ったな? この採炭場《キリハ》の坑夫は」
 事務員が頷くと、今度は係長が引取って云った。
「そいつの両親《ふたおや》と、生き残った女を、事務所へ引張って来て置いてくれ。ああ、まだ女の兄と云うのがあったな? そいつも連れて来て置け」
「とにかく、峯吉の身内を全部調べるんだ」
 監督が云った。
 巡査と事務員が、おっとり刀で闇の中へ消えてしまうと、係長は閉された発火坑の鉄扉の前まで行って、寄添うようにして立止った。
 密閉法が功を奏して、もう坑内の鎮火はよほど進んだと見え、鉄扉の前には殆んど火照《ほてり》がなくなっていた。けれどもいま急いで開放でもしようものなら、恐らく新らしい酸素の供給を受けて、消えくすぶった火熱も再び力づくに違いない。係長は舌打ちしながら監督へ云った。
「立山坑の菊池《きくち》技師を、呼び出してくれませんか。それから貴方《あなた》も、一通り見巡りがすんだら、事務所の方へ来て下さるね」
 立山坑というのは、山一つ隔てて室生岬の中端にある同じ会社の姉妹坑だった。そこには専属の技師のほかに、滝口立山の両坑を随時一手に引受ける、謂わば技師長格の菊池技師が、数日前から行っている筈であった。折からやって来た炭車《トロ》の一つに飛びついて監督は闇の中へ消えて行った。
 人びとが散り去ると、再び静寂がやって来た。闇の向うの水平坑道の方から、峯吉の母の笑い声が聞えたかと思うと、なにかがやがやと騒がしく引立てられて行くらしい気配が、炭車《トロ》の軋りの絶え間から聞えて来た。左片盤の小頭が、アンペラを持って来て、係長の指図を受けながら、技師の屍体の上へかぶせて行った。工手は切取られた排気管の前に立って、殺された技師の残した仕事をあれこれと弄《いじ》り廻していたが、急に身を起すと、
「係長。どうやら悪い瓦斯《ガス》が出たようです」
「君に判るのか?」係長が微笑を見せた。
「六ヶ敷いことは判りませんが、出て来る匂いで判りますよ。もう火は殆んど消えたらしいですが、くすぶったお蔭で悪い瓦斯《ガス》が出たらしいです」
 係長は鉄管の側に寄ったが、直ぐに顔をしかめて、
「うむ、こりゃアもう、片盤鉄管へ連結して、この瓦斯《ガス》をどしどし流してしまわねばいかん。そうだ。匂いで判るな。じゃア君は、時どき調べてみて、瓦斯《ガス》の排出工合を見守ってくれ。わしはこれから坑夫を調べに行くが、その内には菊池技師も来てくれるだろう」
 工手は鉄管
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