です。そしてその事は、非常に沢山の謎が証明してくれます。例えば、この第一の屍体に於ける奇妙な硬直姿勢、撥形鶴嘴《ビーター》の柄先の不可解な穴、そして、タンク機関車73号の急激なスタート、尚又、二つの屍体に与えられた兇器がそれぞれに異ったものである事、等々です。で、ここでひとつ、手近な処から片附けて見ると、二つの屍体に於て異る兇器が与えられたと言う事実は、先ず、犯人が別々に時間を隔てて二人を殺害したか、或は何等かの方法で同時に殺害したか、と言う二様の立場から見る事が出来ます。ところが――、前者は、第二の屍体から流れ落ちた血の雫が、最初の屍体の置かれたと同一のこの地点から始まっている事、そしてこの地点に於ける機関車の停車時間は決して長いものではなかった事、尚又屍体検査に依る死後時間の一致、等に依って抹殺されてしまいます。従って殺害は同時になされた事になります。すると、短い停車時間の間で、殆ど同時に二人の人間をそれぞれ異った兇器で殺害するためには、犯人が二人であるか、或は一人で何等かの特殊な方法に依ったものであるか、と言う二つの岐路に再度逢着します。――ここで私は、もうひとつの謎をこれに結び付けてみる。即ち、あの撥形鶴嘴《ビーター》の柄先の奇妙な穴を思い出すのです。そして、ひとまず犯人は一人であるとし、その一人の犯人が、二人の殺害に当って必らず為《な》さなければならなかったであろう筈のカラクリ[#「カラクリ」に傍点]即ち兇器の特殊な使用方法に就いて、今までずっと考え続けていたのです。で、その結果に就いて申上げる前に、一寸駅の方に御注意して置きますが、犯人は、一人でしかも機関車がこの地点へ来て停車した時に殺害の目的で乗込んだと同様に、犯行後、再びこの場で機関車から離れたのです。つまり、――タンク機関車73号が、西方へ向ってこの地点を急速度で発車した時には、既に犯人は73号に乗っていなかったのです」
 すると、今まで黙って喬介の説明を聞いていた助役が、急に吹き出しながら、
「そ、そんな馬鹿な事はない。もしもそうとすれば、機関車は独りで疾走《はし》って行った事になる――。と、とんでもない事だ!」
 そして心持顎を突出し、眼玉を大きく見開いて、一寸喬介を軽蔑する様にして見せた。が、その顔色は恐ろしく蒼褪《あおざ》めていた。

          四

 駅長も、助役と同じ様に喬介の言葉には驚いたらしく、ひどく心配そうに蒼白い顔をして、亀の子の様に大きなオーバーの中へ首や手足をすくめる様にしていたが、間もなく本屋《ほんおく》の方へ歩いて行った。喬介は、一向平気に極めて冷淡な語調で、再び助役へ向った。
「時に、当駅に、73号と同じ形式の機関車はありませんか?」
 すると助役は、一寸不機嫌そうに、
「ええ、そりゃあ、仕別《しわけ》線路の方には二輛程来ていますがね。……一体何ですか?」
「実地検証です。是非、一輛貸して頂きたいです。この一番線へ当時の73号と同じ方向に寄越して下さい」
 で、助役はケテン[#「ケテン」に傍点]顔をしながら出掛けて行った。
 間もなく、2400形式のタンク機関車が、汽※[#「竹かんむり/甬」、第4水準2−83−48]《シリンダー》から激しい蒸気を洩し、喞子桿《ピストン・ロッド》や曲柄《クランク》をガチンガチン鳴らしながら、下り一番線上を西に向って私達の前までやって来た。そこで喬介の指図に従って、路面上の血の滴列の起点の上へ、恰度|操縦室《キャッブ》の降口の床の端が来る位置に機関車が止ると、喬介は、給水タンクの線路側の梯子を真中頃まで登って行って、其処にタンクの横ッ腹から突出している径一|糎《センチ》長さ〇・六|米《メートル》程の鉄棒を指差しながら、下を振向いて助役へ言った。
「これは何ですか?」
「あ、それは、いま貴下の前に、タンクの開弁装置へ続く長い鎖が下っているでしょう。その鎖の支棒として以前用いられたものです」
「成程。ところで、序《ついで》にひとつ、その撥形鶴嘴《ビーター》を取ってくれませんか」
 で、助役は、顫えながら、その通りにした。
 喬介は撥形鶴嘴《ビーター》を受取ると、その柄先の穴を、例の鉄棒の尖《さき》に充行《あてが》ってグッと押えた。するとスッポリ填《ふさが》って、撥形鶴嘴《ビーター》は鉄棒へぶら下った。と喬介は、今度は少しずつ梯子を登りながら、撥形鶴嘴《ビーター》の柄を持って先の穴を中心に廻転させ、やがてそれが刃を上にして殆ど垂直に近く立つ処までやると、恰度其処に出ているもう一本別の錆《さび》た鉄の支棒の尖《さき》に、その柄元を一寸引掛けた。そして最後に、開弁装置へ続く鎖の恰度第二の鉄棒に当る位置に縛りつけてある太い、短い、妙に曲った針金を、同じ鉄棒の中頃へ引っ掛けた。
 それらの装置が終ると、喬介は梯子を降りて来て、今度は、規定の位置に停車している機関車の操縦室《キャッブ》へ乗り込み、そこから投炭用のスコップを持ち出すと、地面へは降りずに汽罐側のサイド・タンクに沿って、框《フレーム》の上を給水タンクの梯子と向合う処まで歩くと、ウンと力んで片足を給水タンクの足場へ掛け、機関車と給水タンクとの間へ大の字に跨《またが》った。
「さて。これから始めます。先ず私を、この事件に於ける不幸な第一の被害者、土屋良平君と仮定します。そして、タンク機関車73号に給水するため、土屋君は頭上に恐るべき装置があるとも知らず、この通りの姿勢を執《と》って、ここにぶら下っているこのズック製の呑口《スパウト》を、こちらの機関車のサイド・タンクの潜口《マンホール》へ向けて充行《あてが》い、給水タンクの開弁を促すために右|掌《て》でこの鎖を握り締めて、この通りグイと強く引張ります――」
 喬介は本当に鎖を引張った。すると撥形鶴嘴《ビーター》は恐ろしい勢で、柄先を中心に半円を空に描きながら、喬介の後頭部めがけて落ちて来た。と、喬介は素速く上体を捻って、左手に持っていたスコップを、恰度頭の位置へ差出した。
 ジーン――鋭く響いて、スコップは私達の前へ弾き落された。私達は一様にホッとした。……
 やがて、見事に検証を終えた喬介が、機関車を帰して、両手の塵を払いながら私達の側へ戻って来ると、チョビ髭の助役が、顫え声で、すかさず問い掛けた。
「じゃあ一体、貴方のお説に従うと、犯人は何処《どこ》から来たのです。道がないじゃあないですか?」
「ありますとも」
「ど、どこです?」
 すると喬介は、上の方を指差しながら、
「この給水タンクの屋根からです。ほら。御覧なさい。少し身軽な男だったら、給水タンク、石炭パイル、ランプ室、それから貨物ホーム――と、屋根続きに何処《どこ》までも歩いて行けるじゃないですか※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」
 ――私は驚いた。喬介に言われて始めてそれと気付いたのだが、四つの建物は、高さこそ各々三、四尺ずつ違うが偶然にも一列に密接していて、薄暗い構内に、まるで巨大な貨物列車が停車したかの如く、長々と横わっている。成程これでは、私だって歩いて行けそうだ。
「ところで、犯行前には、雪が降っていたのでしたね」
 そう言って喬介は、給水タンクの梯子を登り始めた。で、司法主任と助役は本線側の梯子を、私は喬介と同じ一番線側の梯子を、それぞれ喬介の後に従って登って行った。
 直ぐに私達は、地面から二十|呎《フィート》とないその頂に達した。そして其処の鈍い円錐形の鉄蓋《やね》の上の、軽く積った粉雪の表面へ、無数に押し着けられたままの大きな足跡や、掌《て》の跡や、はては撥形鶴嘴《ビーター》を置いたり引摺ったりしたらしい乱雑な跡などを発見した。
 喬介は直《すぐ》に鉄蓋《やね》の上へ匐《は》い上った。――実際こんな処では、匐っていなければ墜ちてしまう――そして、その上の無数の跡に就いて調べ始めた。
 向うの梯子の上では、司法主任と並んで、興奮した助役が、唇を噛み締めながら喬介の仕草を見ていたが、とうとう堪え兼ねた様に、
「じゃあ、は、犯人は、ここから梯子伝いに機関車へ乗り移り、犯行後そのまま機関車で走り去ったに違いない。ね、走り去ったんでしょう?」
 すると喬介は笑いながら、
「何故貴下は、いつまでもそんな風に解釈したがるんですか※[#感嘆符疑問符、1−8−78] ほら、これを御覧なさい。この足跡は、石炭|堆積台《パイル》の上にうず高く積み上げられた石炭の山から上って来て、こちらの一番線側の梯子口へ来ていると同時に、逆に、再び戻っているじゃないですか?」
 助役は、血走った眼で喬介の指差す方を追っていたが、やがてぶるぶる顫い出すと、あわてて腕時計を覗き込んだ。そして顫える声で、
「失敗《しま》った……大変なことになったぞ……」
 そう言ってそのまま蒼くなって、大急ぎで梯子を降りて行った。そして、保線係やH機関庫主任等を捕えて、乗務員なしで疾走し去った73号機関車が、その閉塞区間の終点であるN駅で、既に、当然惹き起したであろう恐るべき事故。そして又、そのために一体どんな責任問題が起るか――等々に就いて大騒ぎを始めた。

          五

 一方、鉄蓋《やね》の上の足跡を一心に調べていた喬介は、やがて私と司法主任に向って、
「じゃあ、犯行の大体の径路を、僕の想像に従って、話して見よう。――先ず、撥形鶴嘴《ビーター》を持った犯人は、あの貨物ホームの屋根から、ランプ室、貯炭パイルを伝って此処へやって来ると、先刻《さっき》の実験通り撥形鶴嘴《ビーター》に依る殺人装置を施して、蝙蝠《こうもり》の様にその梯子の中途にヘバリ着きながら73号のやって来るのを待っていたのだ。やがて機関車が着くと、素速く梯子から機関車の框《フレーム》へ飛び移って、乗務員に発見されない様に、汽罐の前方を廻って反対側の框《フレーム》に匐《は》いつくばっていたに違いない。一方、機関助手の土屋良平は、そんな事も知らずに給水作業に取掛る。そして、あの恐ろしい機構《からくり》に引掛って路面の上へ俯伏《うつぶせ》にぶっ倒れる。すると操縦室《キャッブ》にいた井上順三が、何事ならんと驚いて、操縦室《キャッブ》の横窓から、半身を乗出す様にして覗き込む。と、そうだ。恰度その時を狙って、反対側の框《フレーム》に蹲《うずくま》っていた犯人は、素速く操縦室《キャッブ》に飛び込むと、井上順三の背後から、鋭利な短刀様の兇器で、力任せに突刺したんだ。――」
 すると今まで黙って聞いていた司法主任が急に眉を顰《ひそ》めて、
「じゃあ、つまり貴方は、機関車を動かしたのは、犯人だ、と仰有《おっしゃ》るんですね?」
「無論そうです。この場合、犯人以外には機関車を動かす事は出来なかった筈です。――従って犯人は、操縦技術を知ってる男で、犯行後再び機関車からこちらの梯子へ飛び移る前に、素速く発車|梃《てこ》を起し、加速装置《アクセンレーター》を最高速度に固定したに違いありません。そして給水タンクから貨物ホームへ、屋根伝いに逃げ去りながら、撥形鶴嘴《ビーター》をパイルとランプ室の間へ投げ捨てて行ったのです。一方、操縦室《キャッブ》の床に倒れていた井上順三の屍体は、機関車の加速度と、曲線《カーブ》に於ける遠心力の法則に従って、あの通りに投げ出されます。だが、ここで問題になるのは、何故犯人は[#「何故犯人は」に傍点]、犯行後機関車を発車させたか[#「犯行後機関車を発車させたか」に傍点]? と言う点です。が、この最後の疑問を突込む前に、僕は、いまひとつ、新しい発見を紹介しよう」と、それから喬介は明かに興奮を浮べた語調で、「この鉄蓋《やね》の上を見給え。いま吾々がこうしていると同じ様に、犯人も、必ず此処の上では匐《は》って歩いたのです。そしてしかも、あの重い撥形鶴嘴《ビーター》は、この通り、自分より少しずつ先へ投げ出す様にして運びながら匐進《ふくしん》したのです。それにもかかわらず、どうです、犯人の掌《て》の跡は、右掌だけで、何処を見ても左掌の跡はひとつも無いじゃあないですか。――つまり、犯人は、右手片
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