顔を向けた。すると今まで、相変らずポケット・ハンドをしたまま黙り込んでいた痩ギスの駅長が、ズングリした頬骨を突出しながら、熱心な語調で喬介に立向った。
「しかし、たとえそれらの鉱片が傷口に着いていたからとて、何もそれだけで、兇器を、あの切通で使った撥形鶴嘴《ビーター》であると推定されるのは、少し早計ではないでしょうか?――御承知の通り、砕石道床と言う奴は、砕石が角張っている点は理論的に言えば道床材料として大変好都合なんですが、何分高価なものですから我国では普通に使用されず、その代りに主として精選砂利を用いております。が、これとても又相当に値段が張りますので、普通経済的に施工するためには、道床の下部に砂交りの切込砂利を入れ、上部の表面だけに精選砂利を敷詰める方法、所謂――化粧砂利と言うのがあります。で、この、化粧砂利の下の粗雑な切込砂利に、石英粗面岩の細片を使用した道床が、つまり表面は普通の精選砂利でも、内部が石英粗面岩の切込砂利になっている道床が、H駅の附近にも数ヶ所もあるのです」
駅長はそう言って喬介の顔を熱心に見詰めた。が、喬介は、決してひるま[#「ひるま」に傍点]なかった。
「石英粗面岩――ですって? いや。大変いい参考になりました。でも、石英粗面岩と粗面岩とは、同じ火成岩中の火山岩に属していながらも、全々別個の岩石である事を忘れないで下さい。即ち、粗面岩は石英粗面岩と違って石英は決して多くは存在せずに、却って橄欖岩や準長石の類は往々含有している事、をですな。そしてしかも、この種の岩石は、本邦内地には極めて産出が少く、大変珍らしい代物なんです」
そこで駅長は、二、三度軽く頷くと、そのまま急に黙ってしまった。喬介は司法主任へ向って、
「とにかく、撥形鶴嘴《ビーター》と言えばそんな小さな品ではないんですから、一応その辺を探して見て下さい。もし有るとすれば、きっと発見《みつ》かるでしょう」
で、二名の警官が、司法主任から兇器の捜索を命ぜられた。
一方喬介は、ソッと私を招いて、先程司法主任が知らしてくれた軌条沿いの血の雫の跡を、懐中電燈で照しながら、線路伝いに駅の西端へ向って歩き始めた。
が、二十|米《メートル》も歩いたと思う頃、立止って振返ると、給水タンクの下であれこれと指図しているらしい司法主任の方を顎で指しながら、私へ言った。
「ね君、大将の言ってる事は、あの屍体に関する限り、大体間違いない様だよ。つまり、屍体は、タンク機関車73号から墜《おと》されたもので、同時にこれらの血の雫は、同じ73号の操縦室《キャッブ》の床の端から、機関車が給水で停車している時から落始めたものだ、と言う風にね。そして先生、73号の、被害者と同乗した被害者以外のもう一人の、或は二人の、乗務員に対して、有力な嫌疑を抱いているらしい。ま、大体素直な判定さ。だが、僕は、その推理に就いて云々する前に、あの屍体の奇妙に開かれた両脚や、五指を固く握り締めたままの右掌に対して、何よりも大きな興味を覚えるよ。そしてだね君。あの屍体の傷口を思出してくれ給え。あの傷は、打撲に依る挫創並に骨折で、決して出血の多いものではなかった筈だ。ね。それにもかかわらず、ほら、御覧の通り、機関車の操縦室《キャッブ》の床から落ちた血の雫は、こんな処まで続いているじゃないか※[#感嘆符疑問符、1−8−78] いや、それどころかまだまだ西方《むこう》まで続いている様だ。――ひとつ、僕達は、その血の雫の終る処までつけて行って見ようじゃないか」
で喬介は再び歩き出した。私は一寸身顫いを覚えながら、それでも喬介の後に従った。
嵐はもう大分静まっていたが、この附近の路面には建物がないので、広々とした配線構内の上には、まだ吹止まぬ寒い風が私達を待っていた。喬介は線路の上を歩きながら、何かブツブツ呟いていたがやがて私へ向って、
「君。この血の雫の跡を見給え。落された雫の量の大きさは少しも変っていないのに、その落された地点と地点との間隔は、もう二|米《メートル》余にも達している。僕は、先刻《さっき》からこの間隔の長さが、追々に伸びて行く比率に注意しているよ。それは余りに速く伸び過ぎる。――つまり73号機関車は、あの給水タンクの地点から急激に最高速度で出発させられたのだ[#「急激に最高速度で出発させられたのだ」に傍点]。――大体、入換用のタンク機関車などと言う奴は、僕の常識的な考えから割出して見ても、牽引力の大きな割に速力は他の旅客専用の機関車などより小さい訳だし、それに第一|転轍器《ポイント》や急|曲線《カーブ》の多い構内で、そんな急速な出発をするなんて無茶な運転法則はないんだから、この73号の変調は、先ずこの事件の有力な謎のひとつと見て差支ないね」
そこで、歩きながら私が口を入れた。
「しかし、もしもその機関車の操縦室《キャッブ》の床に溜った血の量が、全体に少くなって来たのだとしたなら、雫の大きさは同じでも、落される間隔は、あたかも機関車の速度が急変したかのように、長くなるのじゃないかね?」
「ふむ。仲々君も、近頃は悧巧《りこう》になったね。だが、もしも君の言う通り、そんなに早く機関車の方の血が少くなって来たのだとしたなら、この調子では、もう間もなく血の雫は終ってしまうよ。――其処まで行って見よう。果して君の説が正しいか、それとも、僕の恐ろしい予想に軍配が挙がるか――」
で、私達は二人共亢奮して歩き続けた。
もうこの附近はW駅の西端に近く、二百|米《メートル》程の間に亙って、全線路が一様に大きく左にカーブしている。私達は幅の広いそのカーブの中を、懐中電燈で血の雫の跡を追いながら、下り一番線に沿って歩き続けた。が、間もなく私の鼻頭には、この寒さにもかかわらず、無気味な油汗がにじみ始めた。――私は、喬介との闘いに敗れたのだ。
線路の横には、喬介の推理通り行けども行けども血の雫の跡は消えず、タンク機関車73号は、明かに急速度を出したらしく、もうこの辺では、血の雫の跡も五、六|米《メートル》置きにほぼ一定して着いていた。そしてそのカーブの終りに近く、下り一番線から下り本線への亙り線の転轍器《ポイント》の西で、とうとう私達は、異様な第二の他殺屍体にぶつかってしまった。
三
屍体は第一のそれと同じ様に、菜っ葉服を着、従業員の正帽を冠った、明かに73号の機関手で、粉雪の積った砂利面の上へ、線路に近く横ざまに投げ出されていた。――辺りは、一面の血の海だ。
私は、直《ただち》に喬介を置いて元来た道を大急ぎで引返した。そして司法主任や警察医の連中を連れて、再び其処へ戻った時には、もう喬介は屈み込んで、綿密な屍体の調査を始めていた。
やがて喬介|並《ならび》に警察医の検案に依って、第二の屍体は、第一のそれと殆ど同時刻に殺されたもので、致命傷は、鋭利な短刀様の兇器で背後から第六胸椎と第七胸椎との間に突立てた、創底左肺に達する深い刺傷である事が判った。尚、屍体が機関車から投げ出された際に出来たらしく、顱頂骨《ろちょうこつ》の後部に近くアングリ口を開いた打撲傷や、その他全身の露出面に亙る夥しい擦過傷等も明かになった。
私達は協力して暫くその辺を探して見たが、勿論殺害に使われた兇器は発見《みつ》からなかった。そして線路の脇の血の雫の跡も、もうそれより以西には着いていなかった。
司法主任は、第二の屍体の発見に依って自分の抱いていた疑いが微塵に砕かれてしまったためか、すっかりしおれて、黙々としていたが、やがて思い出した様に傍らの路面から、私はうっかり気付かなかったのだが、先刻《さっき》ここへ来た時に持って来て置いたらしい大型の撥形鶴嘴《ビーター》を取上げると、喬介の眼前へ差出しながら、
「やはり有りましたよ。こいつでしょう? 最初の屍体に加えられた兇器は。――あの貯炭パイルと、直ぐその東隣のランプ室との間の狭い地面に抛《ほう》り込んでありましたよ。ええ、無論その撥《ばち》形の刃先に着いていた砂は、顕微鏡検査に依って、貴方《あなた》の仰有《おっしゃ》った通り、あちらの屍体の傷口の砂と完全に一致しました。尚、柄《え》も調査しましたが、加害者は手袋を用いたらしく、指紋はなかったです」
喬介はそれに頷きながら撥形鶴嘴《ビーター》を受取ると、自身で詳しく調べ始めた。が、その柄の端近くに抜かれた小指程の太さの穴に気付くと、貪る様にして暫くその穴を調べていたが、やがて傍らの助役へ、
「これはどう言う穴ですか?」
「さあ――※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」
「当駅の撥形鶴嘴《ビーター》で、柄の端にこんな穴の開いた奴があったのですか?」
「そんな筈は、ないんですが――」
「ふむ。判りました。その通りでしょう。第一この穴は、こんなに新しいんですからね……」
喬介はそれなり深い思索に陥って行った。
間もなく、W駅の本屋《ほんおく》の方から一人の駅手が飛んで来て、H機関庫から首実検の連中が到着したとの報告を齎《もたら》した。すると司法主任は急に元気附いて、警官の一人にこの場の屍体を見張っている様命ずると、先に立って歩き始めた。私達もその後に従った。
やがて私達が、給水タンク下の最初の現場へ戻り着いた時には、運搬用の気動車《モーター・カー》でやって来たらしい三名の機関庫員は、既に屍体の検証を済して、一服している処だった。が、その内の主任らしい男が、肥った体をヨチヨチやらして私達より一足遅くやって来た助役の顔を見ると、早速立上って、
「――飛んだ事でした。被害者は確かに73号の機関助手で土屋良平《つちやりょうへい》と云う男です」
「いや、どうも。ところで、機関手の名前は?」
「機関手――ですか? ええ。井上順三《いのうえじゅんぞう》と言いますが」
「ふむ。そいつも殺されておりますぞ!」
助役の言葉で、機関庫主任も駅長も明かに蒼くなった。そして一名の機関庫員は、飛ぶ様にして第二の屍体の検証に向った。
すると司法主任が、待構えた様に機関庫主任を捕えて、
「73号のタンク機関車が、H機関庫を出発したのは何時ですか?」
「午前二時四十分です」
「ははあ。で、当駅を通過したのが三時半と――。じゃあ、無論途中停車はしなかったですね?」
「ええ、そうですとも。当駅で炭水補給の停車以外には、N操車場《ハンプ・ヤード》まで六十|哩《マイル》の直行運転です」
「ふむ。ところで、乗務員は何名でしたか?」
「二名です」
「二名――? 三名じゃあなかったですか?」
「そ、そんな筈はありません。第一、原則的に、機関手と助手の二名だけ――」
「いや。その原則外の、非合法の一人があったのだ!」と、それから、急《せ》き込んで、駅長へ、「N駅へその男の逮捕方を打電して下さい。もう機関車は、N操車場《ハンプ・ヤード》へ着くに違いない――」
すると、今まで黙っていた喬介が、突然吹出した。
「……冗談じゃあない。内木さんにも似合わん傑作ですよ。ね。――もしも私が、その場合の犯人であったとしたなら、N駅へ着かない以前に、機関車を投げ出して、疾《とっく》の昔に逃げてしまいますよ。いや、全く、貴下の意見は間違いだらけだ。例えば、最初機関車がH駅を出発した当時から、犯人が被害者の二人と一緒に乗っていたものとすれば、第一の屍体の兇器、即ち昨日まで道床|搗固《つきかため》に使われ、当駅の工事用具所へ仕舞われたあの撥形鶴嘴《ビーター》を犯行後機関車の中からランプ室と貯炭パイルの間の狭い地面へ投げ捨てる事は出来るとしても、一体、何処からそいつを手に入れる事が出来ると言うんです。そして、又よしんばそれが出来得たとしても、犯人は何の必要があって、わざわざ当駅で停車中などに二人もの人間を殺害しなければならなかったのです。犯人が機関車に乗っていたのならば、何もこんな処で殺さなくたって、あの吹雪の闇を疾走中に、もっと適切な殺し場がいくらもあった筈ではないですか。――いや、この事件は、いま貴下が考えていられるより、もう少しは面白いものらしい
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