気狂い機関車
大阪圭吉
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)内木《うちき》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)吹|捲《まく》り
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#感嘆符疑問符、1−8−78]
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一
日本犯罪研究会発会式の席上で、数日前に偶然にも懇意になったM警察署の内木《うちき》司法主任から、不思議な殺人事件の急電を受けて冷い旅舎に真夜中過ぎの夢を破られた青山喬介と私は、クレバネットのレイン・コートに身を包んで烈しい風を真面《まとも》に受けながら、線路伝いに殺人現場のW停車場へ向って速足に歩き続けていた。
沍《いて》て泣き喚く様な吹雪の夜の事だ。
雪はやんでいたが、まだ身を切る様な烈風が吹|捲《まく》り、底深く荒れ果てた一面の闇を透して遠く海も時化《しけ》ているらしく、此処から三|哩《マイル》程南方にある廃港の防波堤に間断なく打揚る跳波の響が、風の悲鳴にコキ混って、粉雪の積った線路の上を飛ぶ様に歩いて行く私達の跫《あし》音などは、針程も聴えなかった。
やがて前方の路上には遠方信号機の緑燈が現れ、続いて無数の妙に白けた燈光が、蒼白い線路の上にギラギラと反射し始める。そして間もなく――私達はW駅に着いた。
赤、緑、橙等さまざまな信号燈の配置に囲まれて、入換作業場の時計塔が、構内照明燈《ヤード・ライト》の光にキッカリ四時十分を指していた。明るいガランとした本屋《ほんおく》のホームで、先着の内木司法主任と警察医の出迎えを受けた私達は、貨物|積卸《つみおろし》ホームを突切って直《ただち》に殺人の現場へ案内された。
其処はW駅の西端に寄って、下り本線と下り一番線との線路に狭まれて大きな赤黒い鉄製の給水タンクが立っている薄暗い路面であるが、被害者の屍体は、給水タンクと下り一番線との間の、四|呎《フィート》程の幅狭い処に、数名の警官や駅員達に見守られながら発見当時のままで置かれてあった。
被害者は菜ッ葉服を着た毬栗《いがぐり》頭の大男で、両脚を少し膝を折って大の字に開き、右|掌《て》を固く握り締め、左掌で地面を掻きむしる様にして、線路と平行に、薄く雪の積った地面の上に俯伏《うつぶせ》に倒れていた。真白な雪の肌に黒血のにじんだその頭部の近くには、顎紐の千切れた従業員の正帽がひとつ、無雑作に転っている――。
警察医は、早速屍体の側へ屈み込むと、私達を上眼で招いた。
「――温度の関係で、硬直は割に早く来ておりますが、これで死後三四十分しか経過していません。勿論他殺です。死因は後頭部の打撲傷に依る脳震盪《のうしんとう》で、御覧の通り傷口は、脊髄に垂直に横に細く開いた挫傷で、少量の出血をしております。加害者は、この傷口やそれから後頭部の下部の骨折から見て、幅約〇・八|糎《センチ》、長さ約五|糎《センチ》の遊離端を持つ鈍器――例えば、先の開いた灰掻棒《はいかきぼう》みたいなもので、背後から力まかせにぶん殴ったものですな」
「他に損傷はないですか?」喬介が訊いた。
「ええ、ありません。もっとも、顔面、掌その他に、極めて軽微な表皮剥脱|乃至《ないし》皮下出血がありますが、死因とは無関係です」
喬介は警察医と向い合って一層近く屍体に寄添うと、懐中電燈の光を差付ける様にして、後頭部の致命傷を覗き込んだ。が、間もなく傷口を取巻く頭髪の生際《はえぎわ》を指差しながら、医師へ言った。
「白い粉みたいなものが少しばかり着いていますね。何でしょう? 砂ですか?」
「そうです。普通地面のありふれた砂ですよ。多分兇器に附着していたものでしょう」
「成程。でも、一応調べて見たいものですね」そして駅員達の方へ振向いて、「顕微鏡はありませんか? 五百倍以上のものだと一層結構ですがね――」
すると、私の横に立っていた肥っちょのチョビ髭を生《はや》したW駅の助役が、傍らの駅手に、医務室の顕微鏡を持って来いと命じた。
喬介は、それから、固く握り締められたままの被害者の右掌や、少し膝を折って大の字に拡げられた両の脚などを、時折首を傾《かし》げながら調べていたが、やがて立上ると、今しがた部下の警部補と何か打合せを終えた内木司法主任に向って声を掛けた。
「何か御意見を承給《うけたまわ》りたいものですね」
喬介の言葉に司法主任は笑いながら、
「いや。私の方こそ、貴下《あなた》の御援助を得たいです。が、まあ、とにかく捜査に先立って、大切な点をお知らせして置きましょう。と言うのは、外でもないですが、一口に言うと、つまり現場に加害者の痕跡が微塵もないと言う事です。何しろ、御承知の通り犯行の推定時刻までにはあの通り雪が降っていましたし、報告に接して急行した吾々《われわれ》係官の現場調査も、充分――いや、これはむしろ貴下方の御信頼に任すとして――、それにもかかわらず、この雪の地面には、加害者と覚しき足跡は愚か、被害者自身の足跡すら発見されなかったのです。従って私達は、ここで最も簡単にしかも合理的に、犯行の本当の現場を見透す事が出来るのです。即ち屍体は、推定時間当時に於てこの下り一番線上を通過した機関車から、灰掻棒で殺害後|突墜《つきおと》されたものに違いないと言う事――私のこの考え方を裏書してくれる確実な手掛りを御覧下さい」
司法主任はそう言って、軌条と屍体との中間に当る路面に、懐中電燈の光を浴びせ掛けた。――成程、薄く積った地面の雪の上には、軌条から二|呎《フィート》程離れしかも軌条に平行して、数滴の血の雫《しずく》の跡が一列に並んで着いている。その列の尖端、つまり血の雫の落始まった処は、屍体よりも約五|呎《フィート》程の東寄にあって、其処には同じ一点に数滴の雫が、停車中の機関車の床から落ちたらしく雪の肌に握拳《にぎりこぶし》程の染《しみ》を作っている。そして二|呎《フィート》三|呎《フィート》と列の西に寄るに従って、雫と雫との間隔は一|吋《インチ》二|吋《インチ》と大きくなって、やがて吾々の視線から闇の中へ消えている。司法主任は、それらの雫の特異な落下点を指差しながら、機関車が給水のため此処で停車していた時に犯行が行われたに違いない、と附け加えた。喬介はそれにいちいち頷きながら聴いていたが、やがて、駅員達の方へ振返って、屍体発見並に被害者の説明を求めた。
と、それに対して、ゴム引の作業服を着た配電室の技師らしい男が進み出て、自分が恰度午前四時二十分前頃に、交換時間で、配電室から下り一番の線路伝いに本屋《ほんおく》の詰所へ戻る途中、この場で、この通りに倒れている屍体を発見し、直《ただち》に報告の処置を執《と》った旨を、詳細に且つ淀みなく述べ立てた。が、被害者に就いては、一向に見覚えがない旨を附加えた。すると今度は、今まで助役の隣で、オーバーのポケットへ深々と両手を突込んだまま人々の話に聞き入っていた頬骨の突出た痩《やせ》ギスの駅長が、被害者は、W駅の東方約三十|哩《マイル》のH駅機関庫に新しく這入った機関助手である事は判るが、姓名その他の詳細に就いては不明であるため、既にH機関庫に打電して、屍体の首実検を依頼してある旨を陳述した。
恰度この時、先程の駅手が顕微鏡を持って来たので、喬介はそれを受取ると、整った照明装置に満足の笑《えみ》を漏しながら、警察医に機械を渡して、屍体の傷口に着いた砂片の分析的な鑑定を依頼した。そして再び振返ると、駅長に向って、
「では次にもうひとつ、今から約一時間前の犯行の推定時刻に、この下り一番線を通過した列車に就いて伺いたいのですが――」
すると今度は、チョビ髭の助役が乗り出した。
「列車――と言うと、一寸門外の方には変に思われるかも知れませんが、恰度その時刻には、H機関庫からN駅の操車場《ハンプヤード》へ、作業のために臨時運転をされた長距離単行機関車がこの線路を通過しております。入換用のタンク機関車で、番号は、確か2400形式・73号――だったと思います。御承知の通り、臨時の単行機関車などには勿論表定速度はありませんので、閉塞装置に依る停車命令のない限り、言い換えれば、予《あらかじ》め運転区間の線路上に於ける安全が保障されている以上、多少の時刻の緩和は認められております。で、そんな訳で、その73号のタンク機関車が本屋のホームを通過した時刻を、今ここで厳密に申上げる事は出来ないですが、何でもそれは、三時三十分を五分以上外れる様な事はなかったと思います。尚、機関車が下り一番線を通ったのは、恰度その時、下り本線に貨物列車が停車していたためです。――」
「すると、勿論そのタンク機関車は、本屋のホームを通過してしまってから、現場《ここ》で、一度停車したんでしょうな?」
喬介が口を入れた。
「そうです。――多分御承知の事とは思いますが、タンク機関車は他のテンダー機関車と違って、別に炭水車《テンダー》を牽引しておらず、機関車の主体の一部に狭少な炭水槽《タンク》を持っているだけです。従ってH・N間の様に六十|哩《マイル》近くもある長距離の単行運転をする場合には、どうしても当駅で炭水の補給をしなければならないのです。勿論73号も、此処で停車したに違いありません。そして、この給水タンクから水を飲み込み、そこの貯炭パイルから石炭を積み込んだでしょう」
チョビ髭の助役はそう言って、給水タンクの直ぐ東隣に、同じ様に線路に沿って黒々と横わった、高さ約十三、四|呎《フィート》長さ約六十|呎《フィート》の大きな石炭|堆積台《パイル》を、肥《ふと》った体を延び上げる様にして指差した。
そこで喬介は助役に軽く会釈すると、今度は、司法主任と向合って顕微鏡の上に屈み込んでいる警察医の側へ行き、その肩へ軽く手を掛けて、
「どうです。判りましたか?」
すると警察医は、一寸そのままで黙っていたが、やがてゆっくり立上って大きく欠伸《あくび》をひとつすると、ロイド眼鏡の硝子《たま》を拭き拭き、
「有りましたよ。いや。仲々沢山に有りましたよ。――先ず、多量の玻璃《はり》質に包まれて、アルカリ長石、雲母《うんぼ》角閃石、輝石等々の微片、それから極めて少量の石英と、橄欖《かんらん》岩に準長石――」
「何ですって。橄欖岩に準長石?……ふむ。それに、石英は?」
「極く少量です」
「――いや、よく判りました。それにしても、……珍らしいなあ……」と喬介はそのまま暫く黙想に陥ったが、やがて不意に顔を上げると、今度は助役に向って、「この駅の附近の線路で、道床に粗面岩の砕石を敷詰めた箇所がありますか?」
するとその問に対して、助役の代りに配電室の技師が口を切った。
「此処から三|哩《マイル》程東方の、発電所の近くに切通《きりとおし》がありますが、その山の切口から珍らしく粗面岩が出ていますので、その部分の線路だけ、僅かですが、道床に粗面岩の砕石を使用しております」
「ははあ。するとその地点の線路は、勿論当駅の保線区に属しているでしょうな?」
「そうです」今度は助役が答えた。
「では、最近その地点の道床に、搗固《つきかため》工事を施しませんでしたか?」
「施しました。昨日と一昨日の二日間、当駅保線区の工夫が、五名程出ております」
助役が答えた。すると喬介は、生き生きと眼を輝かせながら、
「判りました。――殺人に用いられた兇器は撥形鶴嘴《ビーター》です!」そして吃驚《びっくり》した一同を、軽く微笑して見廻しながら、「しかも、それは、当駅の工事用器具所に属するものです!」
二
私は、喬介の推理に今更の様に唖然としながらも、鶴嘴の一方の刃先が長さ約五|糎《センチ》程の撥《ばち》形に開いた兇器――よく汽車の窓から見た、線路工夫の振上げているあの逞しい撥形鶴嘴《ビーター》を、アリアリと眼の中に思い浮べた。内木司法主任も、私と同様に驚いたらしく、眼を大粒に見開いたまま、警察医の方へ臆病そうに
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