腕の男です!」
 そして、吃驚《びっくり》している私達を尻眼に掛けながら、喬介はタンクの梯子を降りて行った。そして其処で騒いでいた助役を捕えると、
「当駅の関係者で、左手の無い片腕の男があるでしょう?」
「ええッ!――片腕の男※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」
 助役は、急にサッと顔色を変えると、物に怖《おじ》けた様に眼を引きつけて、ガクガク顫えながら暫く口も利けなかった。が、やがて、
「あ、あります」
「誰れですか?」と、喬介は軽く笑いながら、「――それは、多分……」
 すると助役は、不意に声を落して、
「え、え、駅長です」
 ――私は驚いた。
 そして、満足そうに煙草に火を点けている喬介を、いっそ憎々しく思った。が、流石《さすが》は司法主任だ。直ちに彼は、数名の部下を督励して本屋《ほんおく》の駅長室へ馳けつけて行った。
 が――、間もなく司法主任は、興奮しながら飛び帰ると、
「手遅れです。駅長は短刀で自殺しました!」
「自殺※[#感嘆符疑問符、1−8−78]――失敗《しま》った」
 今度は喬介も一寸驚いた。
 可哀想な助役は、機関庫主任と一緒に、転ぶ様にして本屋の方へ馳けつけて行った。
 私は、驚きながらも、喬介の興奮の静まるのを待って、この殺人事件の動機に就いて、訊ねて見た。すると喬介は、重々しく、
「多分、――復讐だよ」
 と、それなり黙ってしまった。
 恰度その時、助役と機関庫主任が、一層興奮してやって来た。そして助役は、喬介へ、
「私は、気狂いになりそうだ!――ともかく、運搬車《モーター・カー》へ乗って下さい。只今、N駅からの電信に依ると、疾《とっく》の昔に着いて、と言うよりも、そこで恐るべき衝突事故を起してる筈の73号が、まだ不着だそうです!……事故は、途中の線路上で起ったのだ!」
 で、私達は、早速二番線に置かれてあった無蓋の小さな運搬車《モーター・カー》へ乗込んだ。
 やがて線路の上を、ひと塊《かたまり》の興奮が風を切って疾走し始めた。が、駅の西端の大きな曲線《カーブ》の終りに近く、第二の屍体が警官の一人に依って見張られている地点まで来ると、急に喬介は立上って車を止めさした。そして助役へ、
「73号は、此処の亙《わた》り線を経て、下り一番線から下り本線へ移行する筈だったんですか?」
「そうですとも。そして、勿論そうしたに違いないです」
 すると喬介は笑いながら、
「ところが73号は、この亙り線を経て本線へ移ってはいないのです!――この屍体の位置を御覧なさい。もしも73号が、この亙り線へ移ったのであったならば、遠心力の法則が覆えされない限り、屍体はカーブの内側、即ちこの転轍器《ポイント》の西方へ振落される事は絶対にないのです。そして、何よりも先ず、こちらの一番線の延長線上を見て下さい。ほら、亙り線と違って、雪が積っていないじゃあないですか!――とにかく駅長の仕事です。転轍器《ポイント》の聯動装置ぐらい楽に胡魔化せますよ。ところで、この先の線路は、何になっていますか?」
「車止めのある避難側線です。――もっとも途中の転轍器《ポイント》に依って、三|哩《マイル》先の廃港へ続く臨港線に結ばれていますが」
「ふむ。とにかく、出掛けて見ましょう」
 そこで転轍器《ポイント》が切換えられると、私達を乗せた運搬車《モーター・カー》は再び疾走《はし》り出した。そして、雪の積っていない軌条を追い求める様にして、もうひとつの達磨転轍器《だるまポイント》を切換えた私達は、とうとう臨港線の赤錆た六十五|封度《ポンド》軌条の上へ疾走《はし》り出た。
 もう風も静まって大分白み掛けた薄闇の中を、フル・スピードで疾走《はし》り続けながら、落ついた調子で、喬介は助役へ言った。
「これで、大体この事件もケリ[#「ケリ」に傍点]がつきました。で、最後にひとつお尋ねしますが、駅長が片腕になられたのは、いつ頃の事でしたか?」
「半年程前の事です。――何でもあれは、入換作業を監督している際に、誤って機関車に喰われたのです」
「ふむ。では、その機関車の番号を、覚えておりますか?」
 すると助役は、首を傾《かし》げて、一寸記憶を呼び起す様にしていたが、急にハッとなると、見る見る顔を引き歪めながら、低い、嗄《しゃ》がれた声で、呻く様に、
「ああ。――2400形式・73号だ!」

 それから数分の後――
 荒れ果てた廃港の、線路のある突堤埠頭《ビヤー》の先端に、朝の微光を背に受けて、凝然と立|竦《すく》んでいた私達の眼の前には、片腕の駅長の復讐を受けた73号を深々と呑み込んだドス黒い海が、機関車の断末魔の吐息に泡立ちながら、七色に輝く機械油を、当《あて》もなく広々と漂わしていた。
[#地付き](「新青年」昭和九年一月号)



底本:「とむらい機関車」国書刊行会
   1992(平成4)年5月25日初版第1刷発行
底本の親本:「死の快走船」ぷろふいる社
   1936(昭和11)年初版発行
初出:「新青年」博文館
   1934(昭和9)年1月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:大野晋
校正:川山隆
2008年11月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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