の云うところによると……この女将は、商売柄いつも正午《ひる》近くに起床《おき》ると、それから浅草の観音様へお詣りする習慣だったんですが、恰度その事件のあった日も例によって観音様のお詣りを済ますと、帰り途でふと横網町の震災記念堂をお詣りする気になり、それに時間を見ればまだ三時を少し過ぎたばかりで遅くないからと思い、蔵前で電車を降りたんですが、その折《おり》白いペンキ塗りの手車を曳いた被告を確かに見たと云うんです。なぜそんなことをよく覚えていたかと云うと、それはその白い車を曳いた被告人を見たお蔭で、その時まで忘れていた大事な着物の洗張りを思いついたからだというんです。そして事件の新聞記事を読んで、あの日の三時から三時二十分頃までの間に坂本家へ這入った犯人が写真に出ている洗濯屋だと聞かされた時から、どうもおかしいとは思ったが、さりとてそんなことを申出るのはなんだか掛合《かかりあい》になるような気がして、悪いとは思いながらいままで迷っていた、とこう云うんです。こいつア全く筋が通ってますよ。弁護士は俄《にわか》に元気づいて、日本橋の北島町から浅草の蔵前まで、車を引ッ張って五分や十分じゃア絶対に行けないって頑張るんです。そこで裁判長から、証人に対して時間の点や、被告と対決さしてその人相に見誤りはないかなぞと念押しがあり、検事さんと弁護士の押問答があって、結局判決は次回に廻されたんです。……さあ、その間に検事さんはやっきになって、その「つぼ半」の女将と洗濯屋の書生ッぽとの間に、ナニか特別な関係でもあるんではないかってんで、刑事を八方に飛ばして調べたんですがサッパリ駄目……どう洗ったってまるッきりのアカの他人で、「つぼ半」の女将はまさに正当な証人ってことになるんです……全く、その書生ッぽは果報者《かほうもの》ですよ。おまけに証人は特製の別嬪と来てるんですから、冥利《みょうり》につきまさアね……でまア、そんなわけで、やがて洗濯屋は証拠不充分で無罪を判決され、ひとまずその事件もケリがついたんです……
 ところで……話はこれからが面白くなるんです。
 と云うのは――そんな事件があってから、左様《さよう》……半|歳《とし》もした頃のことでしたね……やはり、その刑事部の今度は三号法廷で、或る放火事件の公判があったんです……むろん係りの判事さんも検事さんも、前の窃盗事件の時とは違っていましたが
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