り》、元来《ぐわんらい》があまり確《しつか》りした頭《あたま》でないのだ。十歳《じつさい》の時《とき》、髪剃《かみそり》を頂《いたゞ》いたが、羅甸《ラテン》の御経《おきやう》はきれいに失念《しつねん》して了《しま》つた。わが身《み》はちやうど蝗虫《いなご》のやうだ、こゝよ、かしこよと跳回《はねまは》る、唸《うな》つて歩《ある》く、また或時《あるとき》は色入《いろいり》の翅《はね》を拡《ひろ》げて、小《ちひ》さな頸《くび》の透《す》きとほつて、空《から》な処《ところ》をみせもする。伝《つた》へ聞《き》く聖約翰《せいヨハネ》は荒野《あれの》の蝗虫《いなご》を食《しよく》にされたとか、それなら余程《よほど》食《た》べずばなるまい。尤《もつと》も約翰様《ヨハネさま》と吾々風情《われわれふぜい》とは人柄《ひとがら》が違《ちが》ふ。
 われは日頃《ひごろ》約翰様《ヨハネさま》に帰依信仰《きえしんかう》してゐる。此御方《このおかた》もやはり浮浪《ふらう》の身《み》にあらせられて、接続《つゞき》の無《な》いお言葉《ことば》を申《まを》されたでは無《な》いか。嘸《さぞ》かし温《あたゝ》かいお言葉《ことば
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