たはら》の菩提樹下《ぼだいじゆか》に誘惑《いうわく》に負《ま》けた事《こと》も知《し》つてゐる。偶《たま/\》われに酒《さけ》を呑《の》ませる会友《くわいいう》たちの、よく承知《しようち》してゐる如《ごと》く、さういふ物《もの》は滅多《めつた》に咽喉《のど》を通《とほ》らない。然《しか》しわれは人《ひと》を傷《きずつ》け害《そこな》ふ党《やから》とは違《ちが》ふ。幼児《をさなご》の眼《め》を剞《く》り抜《ぬ》き、足《あし》を断《た》ち、手《て》を縛《しば》つて、これを曝物《さらしもの》に、憐愍《あはれみ》を乞《こ》ふ悪人《あくにん》どもが世間《せけん》にある。さればこそ今《いま》この幼児等《えうじら》を観《み》て、心配《しんぱい》いたすのだ。いや勿論《もちろん》、これには御主《おんあるじ》の擁護《おうご》もあらうて。自分《じぶん》の言《い》ふことは、兎角《とかく》出放題《ではうだい》になる、胸一杯《むねいつぱい》に悦《よろこび》があるので、いつも口《くち》から出《で》まかせを饒舌《しやべ》る。春《はる》が来《き》たといつては莞爾《につこり》、何《なに》か観《み》たといつては莞爾《につこ
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