の凄き羊群も長棹《ながさを》の鞭に
撻《うた》れて帰る、たづたづし、罪のねりあし。

疾風《はやて》に歌ふ牧羊の翁、神楽月よ、
今、わが頭掠《かしらかす》めし稲妻の光に
この夕《ゆふべ》おどろおどろしきわが命かな。
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]

   火宅《かたく》      エミイル・ヴェルハアレン

[#ここから1字下げ]
嗚呼《ああ》、爛壊《らんえ》せる黄金《おうごん》の毒に中《あた》りし大都会、
石は叫び烟《けむり》舞ひのぼり、
驕慢の円葢《まるやね》よ、塔よ、直立《すぐだち》の石柱《せきちゆう》よ、
虚空は震ひ、労役のたぎち沸《わ》くを、
好むや、汝《なれ》、この大畏怖《だいいふ》を、叫喚を、
あはれ旅人《たびうど》、
悲みて夢うつら離《さか》りて行くか、濁世《だくせい》を、
つゝむ火焔の帯の停車場。

中空《なかぞら》の山けたゝまし跳り過ぐる火輪《かりん》の響。
なが胸を焦す早鐘《はやがね》、陰々と、とよもす音《おと》も、
この夕《ゆふべ》、都会に打ちぬ。炎上の焔、赤々、
千万の火粉《ひのこ》の光、うちつけに面《おもて》を照らし、
声黒《こわぐろ》きわめき、さけびは、妄執の心の矢声《やごゑ》。
満身すべて涜聖《とくせい》の言葉に捩《ねぢ》れ、
意志あへなくも狂瀾にのまれをはんぬ。
実《げ》に自らを矜《ほこ》りつゝ、将《はた》、咀《のろ》ひぬる、あはれ、人の世。
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]

   時鐘《とけい》      エミイル・ヴェルハアレン

[#ここから1字下げ]
館《やかた》の闇の静かなる夜《よる》にもなれば訝《いぶか》しや、
廊下のあなた、かたことゝ、※[#「木+裃のつくり」、第3水準1−85−66]杖《かせづゑ》のおと、杖の音《おと》、
「時」の階《はしご》のあがりおり、小股《こまた》に刻《きざ》む音《おと》なひは
           これや時鐘《とけい》の忍足《しのびあし》。

硝子《がらす》の葢《ふた》の後《うしろ》には、白鑞《しろめ》の面《おもて》飾なく、
花形模様色|褪《さ》めて、時の数字もさらぼひぬ。
人の気絶《けた》えし渡殿《わたどの》の影ほのぐらき朧月《ろうげつ》よ、
           これや時鐘《とけい》の眼の光。

うち沈みたるねび声に機《しかけ》のおもり、音《おと》ひねて、
槌《つち》に鑢《やすり》の音《ね》もかすれ、言葉悲しき木《き》の函《はこ》よ、
細身《ほそみ》の秒の指のおと、片言《かたこと》まじりおぼつかな、
           これや時鐘《とけい》の針の声。

角《かく》なる函《はこ》は樫《かし》づくり、焦茶《こげちや》の色の框《わく》はめて、
冷たき壁に封じたる棺《ひつぎ》のなかに隠れすむ
「時」の老骨《ろうこつ》、きしきしと、数噛《かずか》む音《おと》の歯《は》ぎしりや、
           これぞ時鐘《とけい》の恐ろしさ。

げに時鐘《とけい》こそ不思議なれ。
あるは、木履《きぐつ》を曳《ひ》き悩み、あるは徒跣《はだし》に音《ね》を窃《ぬす》み、
忠々《まめまめ》しくも、いそしみて、古く仕ふるはした女《め》か。
柱時鐘《はしらどけい》を見詰《みつ》むれば、針《はり》のコムパス、身《み》の搾木《しめぎ》。
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]

   黄昏《たそがれ》      ジォルジュ・ロオデンバッハ

[#ここから1字下げ]
夕暮がたの蕭《しめ》やかさ、燈火《あかり》無き室《ま》の蕭《しめ》やかさ。
かはたれ刻《どき》は蕭やかに、物静かなる死の如く、
朧々《おぼろおぼろ》の物影のやをら浸み入り広ごるに、
まづ天井の薄明《うすあかり》、光は消えて日も暮れぬ。

物静かなる死の如く、微笑《ほほゑみ》作るかはたれに、
曇れる鏡よく見れば、別《わかれ》の手振《てぶり》うれたくも
わが俤《おもかげ》は蕭《しめ》やかに辷《すべ》り失《う》せなむ気色《けはひ》にて、
影薄れゆき、色蒼《いろあを》み、絶えなむとして消《け》つべきか。

壁に掲《か》けたる油画《あぶらゑ》に、あるは朧《おぼろ》に色|褪《さ》めし、
框《わく》をはめたる追憶《おもひで》の、そこはかとなく留まれる
人の記憶の図《づ》の上に心の国の山水《さんすい》や、
筆にゑがける風景の黒き雪かと降り積る。

夕暮がたの蕭《しめ》やかさ。あまりに物のねびたれば、
沈める音《おと》の絃《いと》の器《き》に、※[#「木+裃のつくり」、第3水準1−85−66]《かせ》をかけたる思にて、
無言《むごん》を辿《たど》る恋《こひ》なかの深き二人《ふたり》の眼差《まなざし》も、
花|毛氈《もうせん》の唐草《からくさ》に絡《から》みて縒《よ》るゝ夢心地《ゆめごこち》。

いと徐《おもむ》ろに日の光陰《ひかりかぐ》ろひてゆく蕭《しめ》やかさ。
文目《あやめ》もおぼろ、蕭やかに、噫《ああ》、蕭やかに、つくねんと、
沈黙《しじま》の郷《さと》の偶座《むかひゐ》は一つの香《こう》にふた色の
匂交《にほひまじ》れる思にて、心は一つ、えこそ語らね。
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]

   銘文《しるしぶみ》      アンリ・ドゥ・レニエ

[#ここから1字下げ]
夕まぐれ、森の小路《こみち》の四辻《よつつじ》に
夕まぐれ、風のもなかの逍遙《しようよう》に、
竈《かまど》の灰や、歳月《さいげつ》に倦《う》み労《つか》れ来て、
定業《じようごう》のわが行末もしらま弓、
杖と佇《たたず》む。

路《みち》のゆくてに「日」は多し、
今更ながら、行きてむか。
ゆふべゆふべの旅枕、
水こえ、山こえ、夢こえて、
つひのやどりはいづかたぞ。
そは玄妙の、静寧《せいねい》の「死」の大神《おほかみ》が、
わがまなこ、閉ぢ給ふ国、
黄金《おうごん》の、浦安の妙《たへ》なる封《ふう》に。

高樫《たかがし》の寂寥《せきりよう》の森の小路よ。
岩角に懈怠《けたい》よろぼひ、
きり石に足弱《あしよわ》悩み、
歩む毎《ごと》、
きしかたの血潮流れて、
木枯《こがらし》の颯々《さつさつ》たりや、高樫《たかがし》に。
噫《ああ》、われ倦《う》みぬ。

赤楊《はんのき》の落葉《らくよう》の森の小路よ。
道行く人は木葉《このは》なす、
蒼ざめがほの耻《はぢ》のおも、
ぬかりみ迷ひ、群れゆけど、
かたみに避けて、よそみがち。
泥濘《ぬかりみ》の、したゝりの森の小路よ、
憂愁《ゆうしゆう》を風は葉並に囁きぬ。
しろがねの、月代《つきしろ》の霜さゆる隠沼《こもりぬ》は
たそがれに、この道のはてに澱《よど》みて
げにこゝは「鬱憂」の
鬼が栖《す》む国。

秦皮《とねりこ》の、真砂《まさご》、いさごの、森の小路よ、
微風《そよかぜ》も足音たてず、
梢《こずゑ》より梢にわたり、
山蜜《やまみつ》の色よき花は
金色《こんじき》の砂子《すなご》の光、
おのづから曲れる路は
人さらになぞへを知らず、
このさきの都のまちは
まれびとを迎ふときゝぬ。
いざ足をそこに止めむか。
あなくやし、われはえゆかじ。
他の生《しよう》の途《みち》のかたはら、
「物影」の亡骸《なきがら》守る
わが「願《がん》」の通夜《つや》を思へば。

高樫《たかがし》の路われはゆかじな、
秦皮《とねりこ》や、赤楊《はんのき》の路《みち》、
日のかたや、都のかたや、水のかた、
なべてゆかじな。
噫《ああ》、小路《こみち》、
血やにじむわが足のおと、
死したりと思ひしそれも、
あはれなり、もどり来たるか、
地響《じひびき》のわれにさきだつ。
噫、小路、
安逸の、醜辱《しゆうじよく》の、驕慢の森の小路よ、
あだなりしわが世の友か、吹風《ふくかぜ》は、
高樫《たかがし》の木下蔭《このしたかげ》に
声はさやさや、
涙《なみだ》さめざめ。

あな、あはれ、きのふゆゑ、夕暮悲し、
あな、あはれ、あすゆゑに、夕暮苦し、
あな、あはれ、身のゆゑに、夕暮重し。
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]

   愛の教     アンリ・ドゥ・レニエ

[#ここから1字下げ]
いづれは「夜《よる》」に入る人の
をさな心も青春も、
今はた過ぎしけふの日や、
従容《しようよう》として、ひとりきく、
「冬篳篥《ふゆひちりき》」にさきだちて、
「秋」に響かふ「夏笛」を。
(現世《げんぜ》にしては、ひとつなり、
物のあはれも、さいはひも。)
あゝ、聞け、楽《がく》のやむひまを
「長月姫《ながづきひめ》」と「葉月姫《はづきひめ》」、
なが「憂愁」と「歓楽」と
語らふ声の蕭《しめ》やかさ。
(熟しうみたるくだものゝ
つはりて枝や撓《たわ》むらむ。)
あはれ、微風《そよかぜ》、さやさやと
伊吹《いぶき》のすゑは木枯《こがらし》を
誘ふと知れば、憂《う》かれども、
けふ木枯《こがらし》もそよ風も
口ふれあひて、熟睡《うまい》せり。
森蔭はまだ夏緑《なつみどり》、
夕まぐれ、空より落ちて、
笛の音《ね》は山鳩よばひ、
「夏」の歌「秋」を揺《そそ》りぬ。
曙《あけぼの》の美しからば、
その昼は晴れわたるべく、
心だに優しくあらば、
身の夜《よる》も楽しかるらむ。
ほゝゑみは口のさうび花《か》、
もつれ髪《がみ》、髷《わげ》にゆふべく、
真清水《ましみづ》やいつも澄みたる。
あゝ人よ、「愛」を命の法《のり》とせば、
星や照らさむ、なが足を、
いづれは「夜《よる》」に入らむ時。
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]

   花冠      アンリ・ドゥ・レニエ

[#ここから1字下げ]
途《みち》のつかれに項垂《うなだ》れて、
黙然《もくぜん》たりや、おもかげの
あらはれ浮ぶわが「想《おもひ》」。
命の朝のかしまだち、
世路《せいろ》にほこるいきほひも、
今、たそがれのおとろへを
透《すか》しみすれば、わなゝきて、
顔|背《そむ》くるぞ、あはれなる。
思ひかねつゝ、またみるに、
避けて、よそみて、うなだるゝ、
あら、なつかしのわが「想」。

げにこそ思へ、「時」の山、
山越えいでて、さすかたや、
「命」の里に、もとほりし
なが足音もきのふかな。

さて、いかにせし、盃に
水やみちたる。としごろの
願《がん》の泉はとめたるか。
あな空手《むなで》、唇|乾《かわ》き、
とこしへの渇《かつ》に苦《にが》める
いと冷《ひ》やき笑《ゑみ》を湛《たた》へて、
ゆびさせる其足もとに、
玉《たま》の屑《くづ》、埴土《はに》のかたわれ。

つぎなる汝《なれ》はいかにせし、
こはすさまじき姿かな。
そのかみの臈《ろう》たき風情《ふぜい》、
嫋竹《なよたけ》の、あえかのなれも、
鈍《おぞ》なりや、宴《うたげ》のくづれ、
みだれ髪《がみ》、肉《しし》おきたるみ、
酒の香《か》に、衣《きぬ》もなよびて、
蹈《ふ》む足も酔ひさまだれぬ。
あな忌々《ゆゆ》し、とく去《い》ねよ、

さて、また次のなれが面《おも》、
みれば麗容《れいよう》うつろひて、
悲《かなしみ》、削《そ》ぎしやつれがほ、
指組み絞り胸隠す
双《そう》の手振《てぶり》の怪しきは、
饐《す》ゑたる血にぞ、怨恨《えんこん》の
毒ながすなるくち蝮《ばみ》を
掩《おほ》はむためのすさびかな。

また「驕慢」に音《おと》づれし
なが獲物をと、うらどふに、
えび染《ぞめ》のきぬは、やれさけ、
笏《しやく》の牙《げ》も、ゆがみたわめり。
又、なにものぞ、ほてりたる
もろ手ひろげて「楽欲《ぎようよく》」に
らうがはしくも走りしは。
酔狂の抱擁酷《だきしめむご》く
唇を噛み破られて、
満面に爪《つま》あとたちぬ。
興《きよう》ざめたりな、このくるひ、
われを棄《す》つるか、わが「想」
あはれ、耻《はづ》かし、このみざま、
なれみづからをいかにする。

しかはあれども、そがなかに、
行《おこなひ》清きたゞひとり、
きぬもけがれと、はだか身に、
出でゆきしより、けふまでも、
あだし「想」の姉妹《おとどひ》と
道異《みちこと》なるか、かへり来《こ》ぬ
――あゝ行《ゆ》かばやな――汝《な》がもと
前へ 次へ
全9ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
上田 敏 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング