に輝き、
唖然《あぜん》としてすくみしわれらのうつけ姿。
げにや当年の己は
空恐ろしくも信心無く、
或日|精舎《しようじや》の奪掠《だつりやく》に
負けじ心の意気張づよく
神壇近き御燈《みあかし》に
煙草つけたる乱行者《らんぎようもの》、
上反鬚《うはぞりひげ》に気負《きおひ》みせ、
一歩も譲らぬ気象のわれも、
たゞ此僧の髪白く白く
神寂《かみさ》びたるに畏《かしこ》みぬ。

「打て」と士官は号令す。

誰|有《あつ》て動く者無し。
僧は確に聞きたらむも、
さあらぬ素振神々《そぶりかうがう》しく、
聖水|大盤《たいばん》を捧げてふりむく。
ミサ礼拝半《らいはいなかば》に達し、
司僧《しそう》むき直る祝福の時、
腕《かひな》は伸べて鶴翼《かくよく》のやう、
衆皆《しゆうみな》一歩たじろきぬ。
僧はすこしもふるへずに
信徒の前に立てるやう、
妙音|澱《よどみ》なく、和讃《わさん》を咏じて、
「帰命頂礼《きみようちようらい》」の歌、常に異らず、
声もほがらに、
      「全能の神、爾等《なんぢら》を憐み給ふ。」

またもや、一声あらゝかに
「うて」と士官の号令に
進みいでたる一卒は
隊中|有名《なうて》の卑怯者、
銃執《じゆうと》りなほして発砲す。
老僧、色は蒼《あを》みしが、
沈勇の眼《まなこ》明らかに、
祈りつゞけぬ、
      「父と子と」

続いて更に一発は、
狂気のさたか、血迷《ちまよひ》か、
とかくに業《ごう》は了《をは》りたり。
僧は隻腕《かたうで》、壇にもたれ、
明《あ》いたる手にて祝福し、
黄金盤《おうごんばん》も重たげに、
虚空《こくう》に恩赦《おんしや》の印《しるし》を切りて、
音声《おんじよう》こそは微《かすか》なれ、
闃《げき》たる堂上とほりよく、
瞑目《めいもく》のうち述ぶるやう、
      「聖霊と。」

かくて仆《たふ》れぬ、礼拝《らいはい》の事了りて。

盤《ばん》は三度び、床上《しようじよう》に跳りぬ。
事に慣れたる老兵も、
胸に鬼胎《おそれ》をかき抱き
足に兵器を投げ棄てて
われとも知らず膝つきぬ、
醜行のまのあたり、
殉教僧のまのあたり。

聊爾《りようじ》なりや「アアメン」と
うしろに笑ふ、わが隊の鼓手。
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   わすれなぐさ  ウィルヘルム・アレント

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ながれのきしのひともとは、
みそらのいろのみづあさぎ、
なみ、ことごとく、くちづけし
はた、ことごとく、わすれゆく。
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   山のあなた   カアル・ブッセ

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山のあなたの空遠く
「幸《さいはひ》」住むと人のいふ。
噫《ああ》、われひとゝ尋《と》めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸《さいはひ》」住むと人のいふ。
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   春       パウル・バルシュ

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森は今、花さきみだれ
艶《えん》なりや、五月《さつき》たちける。
神よ、擁護《おうご》をたれたまへ、
あまりに幸《さち》のおほければ。

やがてぞ花は散りしぼみ、
艶《えん》なる時も過ぎにける。
神よ擁護《おうご》をたれたまへ、
あまりにつらき災《とが》な来《こ》そ。
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   秋       オイゲン・クロアサン

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けふつくづくと眺むれば、
悲《かなしみ》の色口《いろくち》にあり。
たれもつらくはあたらぬを、
なぜに心の悲める。

秋風《あきかぜ》わたる青木立《あをこだち》
葉なみふるひて地にしきぬ。
きみが心のわかき夢
秋の葉となり落ちにけむ。
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   わかれ     ヘリベルタ・フォン・ポシンゲル

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ふたりを「時」がさきしより、
昼は事なくうちすぎぬ。
よろこびもなく悲まず、
はたたれをかも怨むべき。

されど夕闇おちくれて、
星の光のみゆるとき、
病の床のちごのやう、
心かすかにうめきいづ。
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   水無月《みなづき》     テオドル・ストルム

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子守歌風に浮びて、
暖かに日は照りわたり、
田の麦は足穂《たりほ》うなだれ、
茨《いばら》には紅き果《み》熟し、
野面《のもせ》には木の葉みちたり。
いかにおもふ、わかきをみなよ。
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   花のをとめ   ハインリッヒ・ハイネ

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妙《たへ》に清らの、あゝ、わが児《こ》よ、
つくづくみれば、そゞろ、あはれ、
かしらや撫でゝ、花の身の
いつまでも、かくは清らなれと、
いつまでも、かくは妙にあれと、
いのらまし、花のわがめぐしご。
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ルビンスタインのめでたき楽譜に合せて、ハイネの名歌を訳したり。原の意を汲《く》みて余さじと、つとめ、はた又、句読停音すべて楽譜の示すところに従ひぬ。[#地から1字上げ]訳者
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   瞻望《せんぼう》      ロバアト・ブラウニング

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怕《おそ》るゝか死を。――喉塞《のどふた》ぎ、
 おもわに狭霧《さぎり》、
深雪《みゆき》降り、木枯荒れて、著《し》るくなりぬ、
 すゑの近さも。
夜《よる》の稜威暴風《みいづあらし》の襲来《おそひ》、恐ろしき
 敵の屯《たむろ》に、
現身《うつそみ》の「大畏怖《だいいふ》」立てり。しかすがに
 猛《たけ》き人は行かざらめやも。
それ、旅は果て、峯は尽きて、
 障礙《しようげ》は破《や》れぬ、
唯、すゑの誉《ほまれ》の酬《むくい》えむとせば、
 なほひと戦《いくさ》。
戦《たたかひ》は日ごろの好《このみ》、いざさらば、
 終《をはり》の晴《はれ》の勝負せむ。
なまじひに眼《まなこ》ふたぎて、赦《ゆ》るされて、
 這《は》ひ行くは憂《う》し、
否|残《のこり》なく味《あぢは》ひて、かれも人なる
 いにしへの猛者《もさ》たちのやう、
矢表《やおもて》に立ち楽世《うましよ》の寒冷《さむさ》、苦痛《くるしみ》、暗黒《くらやみ》の
 貢《みつぎ》のあまり捧げてむ。
そも勇者には、忽然《こつねん》と禍福《わざはひふく》に転ずべく
 闇《やみ》は終らむ。
四大《したい》のあらび、忌々《ゆゆ》しかる羅刹《らせつ》の怒号《どごう》、
 ほそりゆき、雑《まじ》りけち
変化《へんげ》して苦も楽《らく》とならむとやすらむ。
 そのとき光明《こうみよう》、その時|御胸《みむね》
あはれ、心の心とや、抱《いだ》きしめてむ。
 そのほかは神のまにまに。
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   出現      ロバアト・ブラウニング

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苔《こけ》むしろ、飢ゑたる岸も
  春来れば、
つと走る光、そらいろ、
  菫《すみれ》咲く。

村雲のしがむみそらも、
  こゝかしこ、
やれやれて影はさやけし、
  ひとつ星。

うつし世の命を耻《はぢ》の
  めぐらせど、
こぼれいづる神のゑまひか、
  君がおも。
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   岩陰に     ロバアト・ブラウニング

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    一

嗚呼《ああ》、物古《ものふ》りし鳶色《とびいろ》の「地《ち》」の微笑《ほほゑみ》の大《おほ》きやかに、
親しくもあるか、今朝《けさ》の秋、偃曝《ひなたぼこり》に其骨《そのほね》を
延《のば》し横《よこた》へ、膝節《ひざぶし》も、足も、つきいでて、漣《さざなみ》の
悦《よろこ》び勇み、小躍《こをどり》に越ゆるがまゝに浸《ひ》たりつゝ、
さて欹《そばた》つる耳もとの、さゞれの床《とこ》の海雲雀《うみひばり》、
和毛《にこげ》の胸の白妙《しろたへ》に囀《てん》ずる声のあはれなる。

    二

この教こそ神《かん》ながら旧《ふ》るき真《まこと》の道と知れ。
翁《おきな》びし「地《ち》」の知りて笑《ゑ》む世の試《こころみ》ぞかやうなる。
愛を捧げて価値《ねうち》あるものゝみをこそ愛しなば、
愛は完《まつ》たき益にして、必らずや、身の利とならむ。
思《おもひ》の痛み、苦みに卑《いや》しきこゝろ清めたる
なれ自らを地に捧げ、酬《むくひ》は高き天《そら》に求めよ。
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   春の朝     ロバアト・ブラウニング

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時は春、
日は朝《あした》、
朝《あした》は七時、
片岡《かたをか》に露みちて、
揚雲雀《あげひばり》なのりいで、
蝸牛枝《かたつむりえだ》に這《は》ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。
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   至上善     ロバアト・ブラウニング

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蜜蜂の嚢《ふくろ》にみてる一歳《ひととせ》の香《にほひ》も、花も、
宝玉の底に光れる鉱山《かなやま》の富も、不思議も、
阿古屋貝《あこやがひ》映《うつ》し蔵《かく》せるわだつみの陰も、光も、
香《にほひ》、花、陰、光、富、不思議及ぶべしやは、
   玉《ぎよく》よりも輝く真《まこと》、
   珠《たま》よりも澄みたる信義、
天地《あめつち》にこよなき真《まこと》、澄みわたる一《いち》の信義は
   をとめごの清きくちづけ。
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ブラウニングの楽天説は、既に二十歳の作「ポオリイン」に顕《あらは》れ、「ピパ」の歌、「神、そらにしろしめす、すべて世は事も無し」といふ句に綜合《そうごう》せられたれど、一生の述作皆人間終極の幸福を予言する点に於《おい》て一致し「アソランドオ」絶筆の結句に至るまで、彼は有神論、霊魂不滅説に信を失はざりき。この詩人の宗教は基督《キリスト》教を元としたる「愛」の信仰にして、尋常宗門の繩墨《じようぼく》を脱し、教外の諸法に対しては極めて宏量なる態度を持せり。神を信じ、その愛とその力とを信じ、これを信仰の基として、人間恩愛の神聖を認め、精進の理想を妄《もう》なりとせず、芸術科学の大法を疑はず、又人心に善悪の奮闘|争鬩《そうげき》あるを、却て進歩の動機なりと思惟《しい》せり。而《しか》してあらゆる宗教の教義には重《おもき》を措《お》かず、ただ基督の出現を以て説明すべからざる一の神秘となせるのみ。曰《いは》く、宗教にして、若《も》し、万世|不易《ふえき》の形を取り、万人の為め、予《あらかじ》め、劃然《かくぜん》として具《そな》へられたらむには、精神界の進歩は直に止りて、厭《いと》ふべき凝滞はやがて来《きた》らむ。人間の信仰は定かならぬこそをかしけれ、教法に完了といふ義ある可《べ》からずと。されば信教の自由を説きて、寛容の精神を述べたるもの、「聖十字架祭」の如きあり。殊《こと》に晩年に※[#「藩」の「番」に代えて「位」、第3水準1−91−13]《のぞ》みて、教法の形式、制限を脱却すること益《ますます》著るしく、全人類にわたれる博愛同情の精神|愈《いよいよ》盛なりしかど、一生の確信は終始|毫《ごう》も渝《かは》ること無かりき。人心の憧《あこ》がれ向ふ高大の理想は神の愛なりといふ中心思想を基として、幾多の傑作あり。「クレオン」には、芸術美に倦《う》みたる希臘《ギリシヤ》詩人の永生に対する熱望の悲音を聞くべく、「ソオル」には事業の永続に不老不死の影ばかりなるを喜ぶ事のはかなき夢なるを説きて、更に個人の不滅を断言す。「亜剌比亜《アラビア》の医師カアシッシュの不思議なる医術上の経験」といふ尺牘体《せきとくたい》には、基督教の原始に遡《さかのぼ》りて、意外の側面に信仰の光明を窺ひ、「砂漠の臨終」には神の権化を目撃せし聖|約翰《ヨハネ》の遺言を耳にし得べし。然れどもこれ等の信仰は、盲目なる狂熱の独断にあらず、皆冷静の理路を辿《たど》り、若しくは、精練、微を穿《うが》てる懐疑の坩堝《るつぼ》を
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