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黒葉《くろば》水松《いちゐ》の木下闇《このしたやみ》に
並んでとまる梟は
昔の神をいきうつし、
赤眼《あかめ》むきだし思案顔。
体《たい》も崩さず、ぢつとして、
なにを思ひに暮がたの
傾く日脚《ひあし》推しこかす
大凶時《おほまがとき》となりにけり。
鳥のふりみて達人は
道の悟《さとり》や開くらむ、
世に忌々《ゆゆ》しきは煩悩と。
色相界《しきそうかい》の妄執《もうしゆう》に
諸人《しよにん》のつねのくるしみは
居《きよ》に安《やすん》ぜぬあだ心。
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現代の悲哀はボドレエルの詩に異常の発展を遂げたり。人或は一見して云はむ、これ僅に悲哀の名を変じて鬱悶《うつもん》と改めしのみと、しかも再考して終《つひ》にその全く変質したるを暁《さと》らむ。ボドレエルは悲哀に誇れり。即ちこれを詩章の竜葢帳《りようがいちよう》中に据ゑて、黒衣聖母の観あらしめ、絢爛《けんらん》なること絵画の如《ごと》き幻想と、整美なること彫塑《ちようそ》に似たる夢思とを恣《ほしいまま》にしてこれに生動の気を与ふ。ここに於てか、宛《あたか》もこれ絶美なる獅身女頭獣なり。悲哀を愛するの甚《はなはだ》しきは、いづれの先人をも凌《しの》ぎ、常に悲哀の詩趣を讃して、彼は自ら「悲哀の煉金道士」と号せり。
*
先人の多くは、悩心地定かならぬままに、自然に対する心中の愁訴を、自然その物に捧げて、尋常の失意に泣けども、ボドレエルは然らず。彼は都府の子なり。乃《すなは》ち巴里《パリ》叫喊《きようかん》地獄の詩人として胸奥の悲を述べ、人に叛《そむ》き世に抗する数奇の放浪児が為に、大声を仮したり。その心、夜に似て暗憺《あんたん》、いひしらず汚れにたれど、また一種の美、たとへば、濁江の底なる眼、哀憐《あいりん》悔恨の凄光《せいこう》を放つが如きもの無きにしもあらず。
[#地から1字上げ]エミイル・ヴェルハアレン
ボドレエル氏よ、君は芸術の天にたぐひなき凄惨の光を与へぬ。即ち未だ曾《かつ》てなき一の戦慄《せんりつ》を創成したり。
[#地から1字上げ]ヴィクトル・ユウゴオ
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譬喩《ひゆ》 ポオル・ヴェルレエヌ
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主は讃《ほ》むべき哉《かな》、無明《むみよう》の闇や、憎《にくみ》多き
今の世にありて、われを信徒となし給ひぬ。
願はくは吾に与へよ、力と沈勇とを。
いつまでも永く狗子《いぬ》のやうに従ひてむ。
生贄《いけにへ》の羊、その母のあと、従ひつつ、
何の苦もなくて、牧草を食《は》み、身に生《お》ひたる
羊毛のほかに、その刻《とき》来ぬれば、命をだに
惜まずして、主に奉る如くわれもなさむ。
また魚とならば、御子《みこ》の頭字象《かしらじかたど》りもし、
驢馬《ろば》ともなりては、主を乗せまつりし昔思ひ、
はた、わが肉より禳《はら》ひ給ひし豕《ゐのこ》を見いづ。
げに末《すゑ》つ世の反抗表裏の日にありては
人間よりも、畜生の身ぞ信深くて
心|素直《すなほ》にも忍辱《にんにく》の道守るならむ。
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よくみるゆめ ポオル・ヴェルレエヌ
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常によく見る夢ながら、奇《あ》やし、懐《なつ》かし、身にぞ染む。
曾ても知らぬ女《ひと》なれど、思はれ、思ふかの女《ひと》よ。
夢見る度のいつもいつも、同じと見れば、異《ことな》りて、
また異らぬおもひびと、わが心根《こころね》や悟りてし。
わが心根を悟りてしかの女《ひと》の眼に胸のうち、
噫《ああ》、彼女《かのひと》にのみ内証《ないしよう》の秘めたる事ぞなかりける。
蒼ざめ顔のわが額《ひたひ》、しとゞの汗を拭ひ去り、
涼しくなさむ術《すべ》あるは、玉の涙のかのひとよ。
栗色髪のひとなるか、赤髪《あかげ》のひとか、金髪か、
名をだに知らね、唯思ふ朗ら細音《ほそね》のうまし名は、
うつせみの世を疾《と》く去りし昔の人の呼名《よびな》かと。
つくづく見入る眼差《まなざし》は、匠《たくみ》が彫《ゑ》りし像の眼か、
澄みて、離れて、落居《おちゐ》たる其|音声《おんじよう》の清《すず》しさに、
無言《むごん》の声の懐かしき恋しき節の鳴り響く。
[#ここで字下げ終わり]
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落葉 ポオル・ヴェルレエヌ
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秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。
鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。
げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。
[#ここで字下げ終わり]
仏蘭西《フランス》の詩はユウゴオに絵画の色を帯び、ルコント・ドゥ・リイルに彫塑の形を具《そな》へ、ヴェルレエヌに至りて音楽の声を伝へ、而して又更に陰影の匂なつかしきを捉《とら》へむとす。[#地から1字上げ]訳者
[#改ページ]
良心 ヴィクトル・ユウゴオ
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革衣纏《かはごろもまと》へる児等《こら》を引具《ひきぐ》して
髪おどろ色蒼ざめて、降る雨を、
エホバよりカインは離《さか》り迷ひいで、
夕闇の落つるがまゝに愁然《しゆうねん》と、
大原《おほはら》の山の麓《ふもと》にたどりつきぬ。
妻は倦《う》み児等も疲れて諸声《もろごゑ》に、
「地《つち》に伏していざ、いのねむ」と語りけり。
山陰《やまかげ》にカインはいねず、夢おぼろ、
烏羽玉《うばたま》の暗夜《やみよ》の空を仰ぎみれば、
広大の天眼《てんがん》くわつと、かしこくも、
物陰の奥より、ひしと、みいりたるに、
わなゝきて「未だ近し」と叫びつつ、
倦《う》みし妻、眠れる児等を促して、
もくねんと、ゆくへも知らに逃《のが》れゆく。
かゝなべて、日には三十日《みそか》、夜《よ》は、三十夜《みそよ》、
色変へて、風の音《おと》にもをのゝきぬ。
やらはれの、伏眼《ふしめ》の旅は果もなし、
眠なく休《いこ》ひもえせで、はろばろと、
後の世のアシュルの国、海のほとり、
荒磯《ありそ》にこそはつきにけれ。「いざ、こゝに
とゞまらむ。この世のはてに今ぞ来し、
いざ」と、いへば、陰雲暗きめぢのあなた、
いつも、いつも、天眼《てんがん》ひしと睨《にら》みたり。
おそれみに身も世もあらず、戦《をのの》きて、
「隠せよ」と叫ぶ一声《いつせい》。児等はただ
猛《たけ》き親を口に指あて眺めたり。
沙漠の地、毛織の幕に住居する
後の世のうからのみおやヤバルにぞ
「このむたに幕ひろげよ」と命ずれば、
ひるがへる布の高壁めぐらして
鉛もて地に固むるに、金髪の
孫むすめ曙のチラは語りぬ。
「かくすれば、はや何も見給ふまじ」と。
「否なほも眼睨《まなこにら》む」とカインいふ。
角《かく》を吹き鼓をうちて、城《き》のうちを
ゆきめぐる民草《たみぐさ》のおやユバルいふ、
「おのれ今固き守や設けむ」と。
銅《あかがね》の壁|築《つ》き上げて父の身を、
そがなかに隠しぬれども、如何《いかに》せむ、
「いつも、いつも眼睨《まなこにら》む」といらへあり。
「恐しき塔をめぐらし、近よりの
難きやうにすべし。砦守《とりでも》る城築《しろつき》あげて、
その邑《まち》を固くもらむ」と、エノクいふ。
鍛冶《かぢ》の祖《おや》トバルカインは、いそしみて、
宏大の無辺都城《むへんとじよう》を営むに、
同胞《はらから》は、セツの児等《こら》、エノスの児等を、
野辺かけて狩暮《かりくら》しつゝ、ある時は
旅人《たびびと》の眼《まなこ》をくりて、夕されば
星天《せいてん》に征矢《そや》を放ちぬ。これよりぞ、
花崗石《みかげいし》、帳《とばり》に代り、くろがねを
石にくみ、城《き》の形、冥府《みようふ》に似たる
塔影は野を暗うして、その壁ぞ
山のごと厚くなりける。工成りて
戸を固め、壁建《かべたて》終り、大城戸《おほきど》に
刻める文字を眺むれば「このうちに
神はゆめ入る可からず」と、ゑりにたり。
さて親は石殿《せきでん》に住はせたれど、
憂愁のやつれ姿ぞいぢらしき。
「おほぢ君、眼は消えしや」と、チラの問へば、
「否、そこに今もなほ在り」と、カインいふ。
「墳塋《おくつき》に寂しく眠る人のごと、
地の下にわれは住はむ。何物も
われを見じ、吾《われ》も亦《また》何をも見じ」と。
さてこゝに坑《あな》を穿《うが》てば「よし」といひて、
たゞひとり闇穴道《あんけつどう》におりたちて、
物陰の座にうちかくる、ひたおもて、
地下《ちげ》の戸を、はたと閉づれば、こはいかに、
天眼《てんがん》なほも奥津城《おくつき》にカインを眺む。
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ユウゴオの趣味は典雅ならず、性情奔放にして狂※[#「風にょう+炎」、第4水準2−92−35]《きようひよう》激浪の如くなれど、温藉静冽《おんしやせいれつ》の気|自《おのづ》からその詩を貫きたり。対聯《たいれん》比照に富み、光彩陸離たる形容の文辞を畳用して、燦爛《さんらん》たる一家の詩風を作りぬ。[#地から1字上げ]訳者
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礼拝 フランソア・コペエ
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さても千八百九年、サラゴサの戦、
われ時に軍曹なりき。此日|惨憺《さんたん》を極む。
街既に落ちて、家を囲むに、
閉ぢたる戸毎に不順の色見え、
鉄火、窓より降りしきれば、
「憎《に》つくき僧徒の振舞」と
かたみに低く罵《ののし》りつ。
明方《あけがた》よりの合戦に
眼は硝煙に血走りて、
舌には苦《に》がき紙筒《はやごう》を
噛み切る口の黒くとも、
奮闘の気はいや益《ま》しに、
勢猛《いきほひもう》に追ひ迫り、
黒衣長袍《こくいちようほう》ふち広き帽を狙撃《そげき》す。
狭き小路《こうじ》の行進に
とざま、かうざま顧みがち、
われ軍曹の任《にん》にしあれば、
精兵従へ推しゆく折りしも、
忽然《こつねん》として中天《なかぞら》赤く、
鉱炉《こうろ》の紅舌《こうぜつ》さながらに、
虐殺せらるゝ婦女の声、
遙かには轟々《ごうごう》の音《おと》とよもして、
歩毎に伏屍累々《ふくしるいるい》たり。
屈《こごん》でくゞる軒下を
出でくる時は銃剣の
鮮血|淋漓《りんり》たる兵が、
血紅《ちべに》に染みし指をもて、
壁に十字を書置くは、
敵|潜《ひそ》めるを示すなり。
鼓うたせず、足重く、
将校たちは色曇り、
さすが、手練《てだれ》の旧兵《ふるつはもの》も、
落居ぬけはひに、寄添ひて、
新兵もどきの胸さわぎ。
忽ち、とある曲角《きよくかく》に、
援兵と呼ぶ仏語の一声、
それ、戦友の危急ぞと、
駆けつけ見れば、きたなしや、
日常《ひごろ》は猛《た》けき勇士等も、
精舎《しようじや》の段の前面に
たゞ僧兵の二十人、
円頂《えんちよう》の黒鬼《こくき》に、くひとめらる。
真白の十字胸につけ、
靴無き足の凜々《りり》しさよ、
血染の腕《かひな》巻きあげて、
大十字架にて、うちかゝる。
惨絶、壮絶。それと一斉射撃にて、
やがては掃蕩《そうとう》したりしが、
冷然として、残忍に、軍は倦《う》みたり。
皆心中に疾《やま》しくて、
とかくに殺戮《さつりく》したれども、
醜行|已《すで》に為し了《を》はり、
密雲漸く散ずれば、
積みかさなれる屍《かばね》より
階《きざはし》かけて、紅《べに》流れ、
そのうしろ楼門|聳《そび》ゆ、巍然《ぎぜん》として鬱たり。
燈明《とうみよう》くらがりに金色《こんじき》の星ときらめき、
香炉かぐはしく、静寂《せいじやく》の香《か》を放ちぬ。
殿上、奥深く、神壇に対《むか》ひ、
歌楼《かろう》のうち、やさけびの音《おと》しらぬ顔、
蕭《しめ》やかに勤行《ごんぎよう》営む白髪長身の僧。
噫《ああ》けふもなほ俤《おもかげ》にして浮びこそすれ。
モオル廻廊の古院、
黒衣僧兵のかばね、
天日、石だたみを照らして、
紅流に烟《けぶり》たち、
朧々《ろうろう》たる低き戸の框《かまち》に、
立つや老僧。
神壇|龕《づし》のやう
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