《かうほね》の白く清らにも漂ふ水の面に映りぬ。これを捉へむとしてえせず、この世のものならざればなりと。されどこれ只一の解釈たるに過ぎず、或は意を狭くして詩に一身の運を寄するも可ならむ。肉体の欲に※[#「厭/(餮−殄)」、第4水準2−92−73]《あ》きて、とこしへに精神の愛に飢ゑたる放縦生活の悲愁ここに湛《たた》へられ、或は空想の泡沫《ほうまつ》に帰するを哀みて、真理の捉へ難きに憧《あこ》がるる哲人の愁思もほのめかさる。而してこの詩の喚起する心状に至りては皆相似たり。一二五頁「花冠」は詩人が黄昏《たそがれ》の途上に佇《たたず》みて、「活動」、「楽欲」、「驕慢《きようまん》」の邦《くに》に漂遊して、今や帰り来《きた》れる幾多の「想」と相語るに擬したり。彼等黙然として頭|俛《た》れ、齎《もた》らす処只幻惑の悲音のみ。孤《ひと》りこれ等の姉妹と道を異にしたるか、終に帰り来らざる「理想」は法苑林《ほうおんりん》の樹間に「愛」と相|睦《むつ》み語らふならむといふに在りて、冷艶《れいえん》素香の美、今の仏詩壇に冠たる詩なり。
訳述の法に就ては訳者自ら語るを好まず。只訳詩の覚悟に関して、ロセッティ
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