ごう》も清新体の詩人に打撃を与ふる能はざるのみか、却《かへつ》て老伯の議論を誤解したる者なりと謂《い》ふ可し。人生観の根本問題に於て、伯と説を異にしながら、その論理上必須の結果たる芸術観のみに就て賛意を表さむと試むるも難いかな。
 象徴の用は、これが助を藉《か》りて詩人の観想に類似したる一の心状を読者に与ふるに在りて、必らずしも同一の概念を伝へむと勉《つと》むるに非ず。されば静に象徴詩を味ふ者は、自己の感興に応じて、詩人も未だ説き及ぼさざる言語道断の妙趣を翫賞《がんしよう》し得可し。故に一篇の詩に対する解釈は人各或は見を異にすべく、要は只類似の心状を喚起するに在りとす。例へば本書一〇二頁「鷺《さぎ》の歌」を誦するに当《あたり》て読者は種々の解釈を試むべき自由を有す。この詩を広く人生に擬《ぎ》して解せむか、曰《いは》く、凡俗の大衆は眼低し。法利賽《パリサイ》の徒と共に虚偽の生を営みて、醜辱|汚穢《おわい》の沼に網うつ、名や財や、はた楽欲《ぎようよく》を漁《あさ》らむとすなり。唯、縹緲《ひようびよう》たる理想の白鷺は羽風|徐《おもむろ》に羽撃《はばた》きて、久方の天に飛び、影は落ちて、骨蓬
前へ 次へ
全82ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
上田 敏 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング