願はくは吾に与へよ、力と沈勇とを。
いつまでも永く狗子《いぬ》のやうに従ひてむ。

生贄《いけにへ》の羊、その母のあと、従ひつつ、
何の苦もなくて、牧草を食《は》み、身に生《お》ひたる
羊毛のほかに、その刻《とき》来ぬれば、命をだに
惜まずして、主に奉る如くわれもなさむ。

また魚とならば、御子《みこ》の頭字象《かしらじかたど》りもし、
驢馬《ろば》ともなりては、主を乗せまつりし昔思ひ、
はた、わが肉より禳《はら》ひ給ひし豕《ゐのこ》を見いづ。

げに末《すゑ》つ世の反抗表裏の日にありては
人間よりも、畜生の身ぞ信深くて
心|素直《すなほ》にも忍辱《にんにく》の道守るならむ。
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   よくみるゆめ  ポオル・ヴェルレエヌ

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常によく見る夢ながら、奇《あ》やし、懐《なつ》かし、身にぞ染む。
曾ても知らぬ女《ひと》なれど、思はれ、思ふかの女《ひと》よ。
夢見る度のいつもいつも、同じと見れば、異《ことな》りて、
また異らぬおもひびと、わが心根《こころね》や悟りてし。

わが心根を悟りてしかの女《ひと》の眼に胸のうち、
噫《ああ》、彼女《かのひと》にのみ内証《ないしよう》の秘めたる事ぞなかりける。
蒼ざめ顔のわが額《ひたひ》、しとゞの汗を拭ひ去り、
涼しくなさむ術《すべ》あるは、玉の涙のかのひとよ。

栗色髪のひとなるか、赤髪《あかげ》のひとか、金髪か、
名をだに知らね、唯思ふ朗ら細音《ほそね》のうまし名は、
うつせみの世を疾《と》く去りし昔の人の呼名《よびな》かと。

つくづく見入る眼差《まなざし》は、匠《たくみ》が彫《ゑ》りし像の眼か、
澄みて、離れて、落居《おちゐ》たる其|音声《おんじよう》の清《すず》しさに、
無言《むごん》の声の懐かしき恋しき節の鳴り響く。
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   落葉      ポオル・ヴェルレエヌ

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秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。
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仏蘭西《フランス》の詩はユウゴオに絵画の色を帯び、ルコント・ドゥ・リイルに彫塑の形を具《そな》へ、ヴェルレエヌに至りて音楽の声を伝へ、而して又更に陰影の匂なつかしきを捉《とら》へむとす。[#地から1字上げ]訳者
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   良心      ヴィクトル・ユウゴオ

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革衣纏《かはごろもまと》へる児等《こら》を引具《ひきぐ》して
髪おどろ色蒼ざめて、降る雨を、
エホバよりカインは離《さか》り迷ひいで、
夕闇の落つるがまゝに愁然《しゆうねん》と、
大原《おほはら》の山の麓《ふもと》にたどりつきぬ。
妻は倦《う》み児等も疲れて諸声《もろごゑ》に、
「地《つち》に伏していざ、いのねむ」と語りけり。
山陰《やまかげ》にカインはいねず、夢おぼろ、
烏羽玉《うばたま》の暗夜《やみよ》の空を仰ぎみれば、
広大の天眼《てんがん》くわつと、かしこくも、
物陰の奥より、ひしと、みいりたるに、
わなゝきて「未だ近し」と叫びつつ、
倦《う》みし妻、眠れる児等を促して、
もくねんと、ゆくへも知らに逃《のが》れゆく。
かゝなべて、日には三十日《みそか》、夜《よ》は、三十夜《みそよ》、
色変へて、風の音《おと》にもをのゝきぬ。
やらはれの、伏眼《ふしめ》の旅は果もなし、
眠なく休《いこ》ひもえせで、はろばろと、
後の世のアシュルの国、海のほとり、
荒磯《ありそ》にこそはつきにけれ。「いざ、こゝに
とゞまらむ。この世のはてに今ぞ来し、
いざ」と、いへば、陰雲暗きめぢのあなた、
いつも、いつも、天眼《てんがん》ひしと睨《にら》みたり。
おそれみに身も世もあらず、戦《をのの》きて、
「隠せよ」と叫ぶ一声《いつせい》。児等はただ
猛《たけ》き親を口に指あて眺めたり。
沙漠の地、毛織の幕に住居する
後の世のうからのみおやヤバルにぞ
「このむたに幕ひろげよ」と命ずれば、
ひるがへる布の高壁めぐらして
鉛もて地に固むるに、金髪の
孫むすめ曙のチラは語りぬ。
「かくすれば、はや何も見給ふまじ」と。
「否なほも眼睨《まなこにら》む」とカインいふ。
角《かく》を吹き鼓をうちて、城《き》のうちを
ゆきめぐる民草《たみぐさ》のおやユバルいふ、
「おのれ今固き守や設けむ」と。
銅《あかがね》の壁|築《つ》き上げて父の身を、
そがなかに隠しぬれども、如何《いかに》せむ、
「いつも、いつも眼睨《まなこにら》む」といらへあり。
「恐しき塔をめぐらし、近よりの
難きやうにすべし。砦守《とり
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