ろしめす、すべて世は事も無し」といふ句に綜合《そうごう》せられたれど、一生の述作皆人間終極の幸福を予言する点に於《おい》て一致し「アソランドオ」絶筆の結句に至るまで、彼は有神論、霊魂不滅説に信を失はざりき。この詩人の宗教は基督《キリスト》教を元としたる「愛」の信仰にして、尋常宗門の繩墨《じようぼく》を脱し、教外の諸法に対しては極めて宏量なる態度を持せり。神を信じ、その愛とその力とを信じ、これを信仰の基として、人間恩愛の神聖を認め、精進の理想を妄《もう》なりとせず、芸術科学の大法を疑はず、又人心に善悪の奮闘|争鬩《そうげき》あるを、却て進歩の動機なりと思惟《しい》せり。而《しか》してあらゆる宗教の教義には重《おもき》を措《お》かず、ただ基督の出現を以て説明すべからざる一の神秘となせるのみ。曰《いは》く、宗教にして、若《も》し、万世|不易《ふえき》の形を取り、万人の為め、予《あらかじ》め、劃然《かくぜん》として具《そな》へられたらむには、精神界の進歩は直に止りて、厭《いと》ふべき凝滞はやがて来《きた》らむ。人間の信仰は定かならぬこそをかしけれ、教法に完了といふ義ある可《べ》からずと。されば信教の自由を説きて、寛容の精神を述べたるもの、「聖十字架祭」の如きあり。殊《こと》に晩年に※[#「藩」の「番」に代えて「位」、第3水準1−91−13]《のぞ》みて、教法の形式、制限を脱却すること益《ますます》著るしく、全人類にわたれる博愛同情の精神|愈《いよいよ》盛なりしかど、一生の確信は終始|毫《ごう》も渝《かは》ること無かりき。人心の憧《あこ》がれ向ふ高大の理想は神の愛なりといふ中心思想を基として、幾多の傑作あり。「クレオン」には、芸術美に倦《う》みたる希臘《ギリシヤ》詩人の永生に対する熱望の悲音を聞くべく、「ソオル」には事業の永続に不老不死の影ばかりなるを喜ぶ事のはかなき夢なるを説きて、更に個人の不滅を断言す。「亜剌比亜《アラビア》の医師カアシッシュの不思議なる医術上の経験」といふ尺牘体《せきとくたい》には、基督教の原始に遡《さかのぼ》りて、意外の側面に信仰の光明を窺ひ、「砂漠の臨終」には神の権化を目撃せし聖|約翰《ヨハネ》の遺言を耳にし得べし。然れどもこれ等の信仰は、盲目なる狂熱の独断にあらず、皆冷静の理路を辿《たど》り、若しくは、精練、微を穿《うが》てる懐疑の坩堝《るつぼ》を
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