経たるものにして「監督ブルウグラムの護法論」「フェリシュタアの念想」等これを証す。これを綜《す》ぶるに、ブラウニングの信仰は、精神の難関を凌《しの》ぎ、疑惑を排除して、光明の世界に達したるものにして永年の大信は世を終るまで動かざりき。「ラ・セイジヤス」の秀什《しゆうじゆう》、この想を述べて余あり、又、千八百六十四年の詩集に収めたる「瞻望《せんぼう》」の歌と、千八百八十九年の詩集「アソランドオ」の絶筆とはこの詩人が宗教観の根本思想を包含す。[#地から1字上げ]訳者
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   花くらべ    ウィリアム・シェイクスピヤ

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燕《つばめ》も来《こ》ぬに水仙花、
大寒《おほさむ》こさむ三月の
風にもめげぬ凜々《りり》しさよ。
またはジュノウのまぶたより、
ヴィイナス神《がみ》の息《いき》よりも
なほ臈《ろう》たくもありながら、
菫《すみれ》の色のおぼつかな。
照る日の神も仰ぎえで
嫁《とつ》ぎもせぬに散りはつる
色蒼《いろあを》ざめし桜草《さくらそう》、
これも少女《をとめ》の習《ならひ》かや。
それにひきかへ九輪草《くりんそう》、
編笠早百合《あみがささゆり》気がつよい。
百合もいろいろあるなかに、
鳶尾草《いちはつぐさ》のよけれども、
あゝ、今は無し、しよんがいな。
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   花の教     クリスティナ・ロセッティ

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心をとめて窺《うかが》へば花|自《おのづか》ら教あり。
朝露の野薔薇《のばら》のいへる、
「艶《えん》なりや、われらの姿、
刺《とげ》に生《お》ふる色香《いろか》とも知れ。」
麦生《むぎふ》のひまに罌粟《けし》のいふ、
「せめては紅《あか》きはしも見よ、
そばめられたる身なれども、
験《げん》ある露の薬水を
盛《も》りさゝげたる盃《さかづき》ぞ。」
この時、百合は追風に、
「見よ、人、われは言葉なく
法を説くなり。」
みづからなせる葉陰より、
声もかすかに菫草《すみれぐさ》、
「人はあだなる香《か》をきけど、
われらの示す教暁《をしへさと》らじ。」
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   小曲      ダンテ・ゲブリエル・ロセッティ

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小曲は刹那をとむる銘文《しるしぶみ》、また譬《たと》ふれば、
過ぎにしも過ぎせぬ過ぎし
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