びぬ。
身動《みじろぎ》迂《うと》き旅人《たびうど》の雲のはたてに消ゆる時。
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ルコント・ドゥ・リイルの出づるや、哲学に基《もとづ》ける厭世《えんせい》観は仏蘭西《フランス》の詩文に致死の棺衣《たれぎぬ》を投げたり。前人の詩、多くは一時の感慨を洩《もら》し、単純なる悲哀の想を鼓吹するに止《とどま》りしかど、この詩人に至り、始めて、悲哀は一種の系統を樹《た》て、芸術の荘厳を帯ぶ。評家久しく彼を目するに高踏派の盟主を以てす。即《すなは》ち格調定かならぬドゥ・ミュッセエ、ラマルティイヌの後に出《い》で、始て詩神の雲髪を捉《つか》みて、これに峻厳《しゆんげん》なる詩法の金櫛《きんしつ》を加へたるが故也。彼常に「不感無覚」を以て称せらる。世人|輙《やや》もすれば、この語を誤解して曰《いは》く、高踏一派の徒、甘《あまん》じて感情を犠牲とす。これ既に芸術の第一義を没却したるものなり。或は恐る、終《つひ》に述作無きに至らむをと。あらず、あらず、この暫々《しばしば》濫用せらるる「不感無覚」の語義を芸文の上より解する時は、単に近世派の態度を示したるに過ぎざるなり。常に宇宙の深遠なる悲愁、神秘なる歓楽を覚ゆるものから、当代の愚かしき歌物語が、野卑陳套《やひちんとう》の曲を反復して、譬《たと》へば情痴の涙に重き百葉の軽舟、今、芸苑の河流を閉塞《へいそく》するを敬せざるのみ。尋常世態の瑣事《さじ》、奚《いづくん》ぞよく高踏派の詩人を動さむ。されどこれを倫理の方面より観むか、人生に対するこの派の態度、これより学ばむとする教訓はこの一言に現はる。曰く哀楽は感ず可く、歌ふ可し、然も人は斯多阿《ストア》学徒の心を以て忍ばざる可からずと。かの額付《ひたひつき》、物思はしげに、長髪わざとらしき詩人等もこの語には辟易《へきえき》せしも多かり。さればこの人は芸文に劃然《かくぜん》たる一新機軸を出しし者にして同代の何人よりも、その詩、哲理に富み、譬喩《ひゆ》の趣を加ふ。「カイン」「サタン」の詩二つながら人界の災殃《さいおう》を賦《ふ》し、「イパティイ」は古代衰亡の頽唐美《たいとうび》、「シリル」は新しき信仰を歌へり。ユウゴオが壮大なる史景を咏《えい》じて、台閣の風ある雄健の筆を振ひ、史乗逸話の上に叙情詩めいたる豊麗を与へたると並びて、ルコント・ドゥ・リイルは、伝説に、史蹟に、内部の精
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