内容があつたやうに思はれる」と言ひ、其第一、第二の時機に書かれたものから第三に至つて作者は再び嚴密に自己に立還つて來た、といふ事を言つてゐるが、私はそれに心から同感である。唯一の遺著たる水野仙子集にはをしくもお貞さんの第一期の作を餘り加へられてゐない。明治時代の作は「四十餘日」(明治四十三年五月「趣味」掲載)「娘」(明治四十三年十二月「中央公論」掲載)の二つきりであるが、其外私の記憶に殘つてゐるものは「ひと夜」「闇の夜」「まくらもと」「お波」などであるが、「お波」は四十三年の中央公論の二月號に發表された作ではなかつたかと思ふ。お貞さんは其頃永代美知代さんといふ婦人と代々木初臺の小さい家に共同で自炊生活をしてゐたが、此「お波」の原稿料をもつて二人は福島縣飯坂温泉に出かけた。勿論滯在中の諸費は永代さんの郷里の實家の方から送られて來たのだが、ここに二人は二箇月ばかり保養してゐた。
 お貞さんの前期の作で最もすぐれた作といへば私は「娘」であると信じてゐる。これはお貞さんとしての傑作であるばかりでなく、あの時代――即ち明治四十年代にかかつて地方の娘時代を經驗した乙女の愛すべき作であつて、其渾然と仕上げられた「娘」といふものの理窟なく匂はしく愛すべきものであるところの雰圍氣を克明に描寫しよく傳へてゐて、丁度其時代としての女性の代表作とも言つて差支へない程のものである。私はお貞さんの諸作のなかでも此「娘」を一番愛讀し感心した一人であつた。勿論「徒勞」もよく出來てゐるし、「四十餘日」もよい作である。「陶の土」といふ地方のお祭に買はれてくる子供芝居の成長してゆくそれぞれの子供役者の描寫はおもしろく、此一篇は非常に特色のある作と思ふが、又氏の逝去後發表された「醉ひたる商人」は作としての進歩のあとを歴然と語つてゐてなかなかの傑作とは思ふが、お貞さんがお貞さんらしく自然に自身の藝術を思ふやうに發展させ得た、役所《やくどころ》に無理のない、たとへば歌舞伎で羽左衞門が切られ與三に扮し、歌右衞門の役が淀君であつたやうに、實に自然の巧さが活き活きと作のいろ艶を一そう美しく磨き出してくる、さういふよさを感じさせる作と思ふ次第である。「娘」といふ作は、作者自身が地方商家の善良な娘であつて、明治三十七八年頃の堅實なる地方町家に人となり青春の時代をやや目覺めはじめた女性として生き甲斐ある行き方をしたいと考
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