の感慨を、書いても書いても書き盡せぬといふやうに思つてゐたらしい。たとへば「女醫の話」といふ作に、
「女を診察するには、どんな場合にでも姙娠といふ事を頭に置いてかからなければいけない」と語り出す。或る女醫の實地に出會した經驗のなかに十八歳になる娘が女醫學校へ老婆につれられて、病名のわからぬ病氣の診察を受けに來た話を書いたものである。醫者は其娘を姙娠と診斷した。「女を診察するにはどんな場合でも姙娠といふことを念頭に置かなければいけない」
と書いた。
 お貞さんの姉さんは女醫學校の生徒さんであつたが、此女醫の話に出てくる女らしい觀察と誠に娘らしい純情とを此作のなかに汲みとる事が出來るのである。
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さうさう、これは學生時代に、先生が話したことでしたが、某官吏の夫人がお産をして、一週間目に夫は臺灣に赴任したさうです。すると夫人の肥立がよくなつて來ると同時に、だんだんお腹が大きくなつて來たので、親戚の者が氣付いて大さわぎをやつた揚句、事の次第を報じてやると、間もなく夫からは「心配するな」といふ電報が來たさうです。この話を聞いた時分には、私も奇蹟を聞くやうな氣がしましたつけ。自然といふものは、時々皮肉な惡戯をやるものですよ。云々。私はただAの話をのべただけにとどめよう。これらの話に、徒に眉をひそめる人と、ある儚さを汲み得る人とは、その各の境遇に伴ふ心持に依つて別れるであらうと思ふから。
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と其「女醫の話」の創作一篇は筆を止められてゐるが自分たち、お貞さんといふ人を知つてゐる者には此何氣ない數行の言葉のなかにも實によくお貞さんといふ人を語つてゐる。田山花袋氏によつて、小説家としての人生に對する心の据ゑ方ともいふべき態度を教へられ、言はず語らずのうちにも平面描寫の正しい效果を信頼しつづけたお貞さんの信念は此作の最後の二行によく表現されてゐると思ふ。そしてさきに言つたやうに眞面目に女性といふものの天來の儚い宿命、姙娠といふ事がいろいろの形をとつて或る時は自然の惡戯とも思はれるやうに出現してくる。婦人は其下に時には世に顏向けもならないやうな思ひを、正しく生きつつさせられねばならぬ事情におかれて居る事もある。女といふものの運命を冷然と描寫しようとしたお貞さんの此態度は途中崩れた事があつたと思ふ。有島武郎氏は仙子さんの藝術的生活には「凡そ三つの
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