に移る。すなわち優秀なる映画さえ作れば、進出は期して待つべしという説である。なるほどこの説はある程度まで正しい。しかし要するにある程度までである。
 なぜか。今それを明らかにする。芸術が民族の生活のうえに咲く花だということを私はすでにいつた。ここに大きな問題がある。もちろん芸術には国際性もある。すぐれた芸術にしてしかも国際性を持つものは、その属する民族の生活をうるおしたうえ、さらに流出し国境の外へひろがつて行く。しかしいかに優れた芸術でもあまりにも民族性が濃厚で国際性に乏しい場合は他邦で理解せられず、したがつて国境を越えない場合がある。
 たとえば芭蕉の俳句である。万葉の歌である。これらは民族の芸術としては世界に誇つていいものであるが国際性はない。しかるに浮世絵の場合になると、あれほど民族性が濃厚でありながら、造型芸術なるゆえに案外理解せられて国境を越えて行つた。(あるいは浮世絵の持つエロチシズムが多分に働いているかもしれないが。)
 ここにはむろん芸術の範疇の問題もある。すなわち絵画は文学よりも国際性があり、散文は詩よりも国際性に富むという類である。
 たとえばユゴーといえば我々はす
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