って日本へ帰る日はいやはや大変な事でした。柴公館には、その日朝暗いうちから人がわんさと押しかけて皆餞別の贈り物をしました。その多くは貧民や苦力どもで、皆手に手に乾鶏等を贈ってその行を惜しんだのです。あの時の有様は今でもありありとこの眼に浮かんで来ます。
【古老の話 その三】
柴大人の威勢というものはその頃は大したもので、流行歌にまで歌われたものです。つい二十年位までは、この北城一帯では子供らがあんまり悪戯をすると母親達は“柴大人来了《ツァイターレンライラ》”(そんなおいたをすると柴大人が来ますよ)と言ってなだめていた程です。
この三つの口伝は橋川氏の集めたものであるが、またもって日本軍人柴大人の威徳を偲ぷに充分なるものがあるではないか」
(三)、「宝鈔胡同の柴大人の民心把握の偉大な事蹟をたずねた方がこの際特に意味深いであろう。
満州人敦厚の“都門紀変三十首絶句”というのは多分拳匪の乱を謳ったものらしいが、その中の第七首“粛府”にこういうのがあるそうだ。
桐葉分封二百余、蒼々陰護九松居、
無端燬倣渾間事、同病応憐道士徐。
この詩にいう道士徐というのは東海に行った徐福
前へ
次へ
全319ページ中286ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石原 莞爾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング