国の軍隊が各警備の縄張りをきめたこの時ほど西欧の軍隊の野獣的なる行為に比べ皇軍の仁愛あふるる軍規と施設の真価が発揮せられた事はあるまい。
この時の日本軍敬慕の北京人の感情は、その後の日露戦争に於て清国をして親日一色ならしめた有力な原動力たり得たのである。……」
(二)、「ここは鼓楼東大街の北である。そして日本軍の善政ゆえに更生した街である。
橋川時雄氏の調査によると、当時の柴大人《ツァイターレン》の仁政として今も古老の感謝しているところは、大人が警務長官となるや各米倉を開いてその蓄米を廉売し、いわゆる“糧荒”の虞《おそれ》なからしめた事であるそうである。その他に現存している古老が口伝している柴大将についての挿話には次のような話がある。
【古老の話 その一】
その頃柴五郎というお方は日本人ではない。満州旗籍の出身だが日本に帰化したのだ。つまり柴大人がこのような仁政を施すのは故郷へ帰ってきて故郷を愛するためだという噂が専らでした。この話は当時その恩に感じた住民達が半分想像まじりで話した噂だろうが、本当の事として宣伝されたわけである。
【古老の話 その二】
柴大人が職を去
前へ
次へ
全319ページ中285ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石原 莞爾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング