が戦乱に苦しんでいる民衆を慰めているというわけで、柴大人の仁政を謳ったものであると解釈されている。この詩の中には“安民処処巧安排、告示輝煌総姓柴”と云って、柴長官の告示によって人民が安心した事も詠《よ》まれている。“拳匪紀略”には、
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 『日本軍が北城を占領したので、市民は初めて外国兵が北京に入城した事を知ったのは二十三日である。それに便乗して土匪が数百家を荒し尽したが北城は何の事もなかった。ここは日本兵が占領していたからで、北城の人民達は皆日本兵の庇護を受けた』
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とあり、また“驢背集”という詩集には、
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 『日本軍の入城に依って宮城が守られ、逃げる隙なく宮中に残った数千人のものは日本軍に依って食を与えられた。宮中には光緒帝も西太后も西巡していて恵妃(同治帝の妃)のみが国璽を守っていたが、柴大人に使を派して謝意を述べ、大人の指示によって宮中の善後措置を講じた』
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という意味の談がある。
 誠に当時の日本軍隊の恩威並び行なわれた事蹟は、四十年後の今なお古老の口から聴く事が出来、残る文書に読む事が
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