軍の運動翼として第一ないし第三軍が仏第五軍及び英軍を包囲殲滅すべき態勢となった。
第一ないし第三軍を一指揮官により統一運用したならばあるいは国境会戦に更に徹底せる勝利となり、仏第五軍、少なくも英軍を捕捉し得たかも知れぬ。そう成ったならマルヌ会戦のため更に有利の形勢で戦わるる事であったろう。しかるに独大本営は自らこの戦場に進出し直接三軍を指揮統一することもなさず、第二軍司令官をして臨時三個軍を指揮せしめた。しかるに第二軍司令官ビューローは古参者であり皇帝の信任も篤い紳士的将軍であったが機略を欠き、活気ある第一軍との意見合致せず、いたずらに安全第一主義のために三軍を近く接近して作戦せんとし、遂に好機を失し敵を逸したのである。
ナポレオンの一八一二年の軍編制や運営につき深刻な研究をしていた独軍参謀本部は、一九一四年同じ失敗をしたのである。一八一二年はナポレオンとしては三軍の編成、その統一司令部の設置はかなり無理と言えるが、一九一四年は正しく右翼三軍の統一司令部を置くべきであり、万一置いてない時は大本営自ら第一線に進出、最も大切の時期にこの三軍を直接統一指揮すべきであった。
戦争の進むに
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