の側背を衝き、一挙に敵全軍を覆滅して和平を強制する方針であった。主力軍は二個の集団に開進した。ナポレオンは最左翼の大集団を直接掌握し、同時に全軍の指揮官であった。
[#底本262頁に地図あり]
今日の常識よりせばナポレオンは三軍に編制して自らこれを統一指揮するのが当然である。当時の通信連絡方法ではその三軍の統一運用は至難であったろう。けれどもナポレオンといえども当時の慣習からそう一挙に蝉脱出来なかった事も考えられる。何れにせよ事実上三軍にわけながら、その統一運用に不充分であった事がナポレオンが国境地方に於て若干の好機を失った一因となっており、統一運用のためには国軍の編制が合理的でなかったという事は言えるわけである。
モルトケ時代は既に国軍は数軍に編制せられ、大本営の統一指揮下にあった。シュリーフェンに依り国軍の大増加と殲滅戦略の大徹底を来たしたのであるが、依然国軍の編制はモルトケ時代を墨守し、欧州大戦勃発初期、国境会戦等であたかも一八一二年ナポレオンの犯したと同じ不利を嘗めたのは興味深い事である。
独第五軍は旋回軸となりベルダンに向い、第四軍はこれに連繋して仏第四軍を衝き、独主力
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