ンは一七九六年三月二日弱冠二十六歳にしてイタリア軍司令官に任ぜられ、同二十六日ニースに着任、いよいよ多年の考案に依る作戦を実行することとなった。
 イタリア軍の野戦に使用し得る兵力は歩兵四師団、騎兵二師団で兵力約四万、主力はサボナからアルベンガ附近、その一師団は西方山地内に在った。縦深約八十キロである。
 軍前面の敵はサルジニアのコッリーが約一万をもってケバ要塞からモントヴィの間に位置し墺軍の主力はなおポー河左岸に冬営中であった。
 ナポレオンはかねての計画に基づき、両軍の分離に乗じ速やかに主力をもってサボナからケバ方向に前進し、サルジニア軍の左側を攻撃、これを撃破する決心であった。当時海岸線は車も通れず、騎兵は下馬を要する処もあった。海岸からサルジニアに進入するためにはサボナから西北方アルタールを越える道路(峠の標高約五百メートル)が最良で、少し修理すれば車を通し得る状態であった。ところがナポレオン着任当時のイタリア軍の状態は甚だ不良で、ナポレオンがその天性を発揮して大活躍をしても整理は容易な事でなかった。
 ナポレオン着任当時、マッセナはゼノバに於ける(ゼノバは当時中立で海岸道不良
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