事を統一する事となっていた。大モルトケが参謀総長就任の時(一八五七年心得、一八五八年総長)はなお陸軍大臣の隷下に在って勢力極めて微々たるものであった。一八五九年の事件に依って信用を高めたのであったけれども、一八六四年デンマーク戦争には未だなかなかその意見が行なわれず、軍に対する命令は直接大臣より送付せられ、時としてモルトケは数日何らの通報を受けない事すらあったが、戦況困難となりモルトケが遂に出征軍の参謀長に栄転し、よく錯綜せる軍事、外交の問題を処理して大功を立てたのでその名望は高まった。国王の信任はますます加わり、一八六六年普墺戦争勃発するや六月二日「参謀総長は爾後諸命令を直接軍司令官に与え陸軍大臣には唯これを通報すべき」旨が国王より命令せられ、ここに参謀総長は軍令につき初めて陸軍大臣の束縛を離れたのである。しかも陸軍大臣ローン及びビスマークはこれに心よからず、普墺戦争中はもちろん一八七〇―七一年の普仏戦争中もビスマーク、モルトケ間は不和を生じ、ウィルヘルム一世の力に依り辛うじて協調を保っていたのである。
 しかしモルトケ作戦の大成功と決戦戦争に依る武力価値の絶対性向上は遂に統帥権の独
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