》爆死以後の状況を見ると、どうも満州問題もこのままでは納まりそうもなく今後、何か一度、事が起ったなら結局、全面的軍事行動となる恐れが充分にあるから、これに対する徹底せる研究が必要だとの結論に達したのであった。その結果、昭和四年七月、板垣大佐を総裁官とし、関東軍独立守備隊、駐箚《ちゅうさつ》師団の参謀らを以て、哈爾賓、斉々|哈爾《チチハル》、海拉爾《ハイラル》、満州里《マンチュウリ》方面に参謀演習旅行を行なった。
 演習第一日は車中で研究を行ない長春に着いた。車中で研究のため展望車の特別室を借用することについて、満鉄嘱託将校に少なからぬ御迷惑をかけたことなど思い出される。第二日の研究は私の「戦争史大観」であり、その説明のための要旨を心覚えに書いてあったのが「戦争史大観」の第一版である。第三日は吟爾賓に移り研究を続け、夜中に便所に起きたところ北満ホテルの板垣大佐の室に電灯がともっている。入って見ると、板垣大佐は昨日の私の講演の要点の筆記を整理しているのに驚いた。板垣大佐の数字に明るいのは兵要地誌班出身のためとのみ思っていた私は、この勉強があるのに感激した次第であった。
 この頃から満蒙問題
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