晩秋、伊勢神宮に参拝のとき、国威西方に燦然として輝く霊威をうけて帰来。私の最も尊敬する佐伯中佐にお話したところ余り良い顔をされなかったので、こんなことは他言すべきでないと、誰にも語ったことも無く、そのままに秘して置いたのであるが、当時の厳粛な気持は今日もなお私の脳裏に鞏固《きょうこ》に焼き付いている。
 昭和三年十月、関東軍参謀に転補。当時の関東軍参謀は今日考えられるように人々の喜ぶ地位ではなかった。旅順で関東庁と関東軍幹部の集会をやる場合、関東庁側は若い課長連が出るのに軍では高級参謀、高級副官が止まりで、私ども作戦主任参謀などは列席の光栄に浴し得なかった。満鉄の理事などにも同席は不可能なことで、奉天の兵営問題で当時の満鉄の地方課長から散々に油をしぼられた経験は、今日もなお記憶に残っている。
 関東軍に転任の際も、今後とも欧州古戦史の研究を必ず続ける意気込みで赴任した。特に万難を排しナポレオンの対英戦争を書き上げる決心であった。しかし中耳炎病後の影響は相当にひどく、何をやっても疲れ勝ちで遂に初志を貫きかねた。漢口駐屯時代に徐州で木炭中毒にかかり、それ以来、脈搏に結滞を見るようになり、一
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