それ故にモルトケ戦略の鵜呑みが国家を救ったとも言える。しかし今日、世界列強が日本を嫉視している時代となっては、正しくその真相を捉え根底ある計画の下に国防の大方針を確立せねばならぬ。これは私の絶えざる苦悩であった。
陸大卒業後、半年ばかり教育総監部に勤務した後、漢口の中支那派遣隊司令部付となった。当時、漢口には一個大隊の日本軍が駐屯していたのである。漢口の勤務二個年間、心ひそかに研究したことは右の疑問に対してであった。しかし読書力に乏しい私は、殊に適当と思われる軍事学の書籍が無いため、東亜の現状に即するわが国防を空想し、戦争を決戦的と持続的との二つに分け、日本は当然、後者に遭遇するものとして考察を進めて見た。
ロシヤ帝国の崩壊は日本の在来の対露中心の研究に大変化をもたらした。それは実に日本陸軍に至大の影響を及ぼし、様々に形を変えて今日まで、すこぶる大きな作用を為している。ロシヤは崩壊したが同時に米国の東亜に対する関心は増大した。日米抗争の重苦しい空気は日に月に甚だしくなり、結局は東亜の問題を解決するためには対米戦争の準備が根底を為すべきなりとの判断の下に、この持続的戦争に対する思索に
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