軍事学については、戦術方面は体験的であるため自然に日本式となりつつあるものの、大戦略即ち戦争指導については、いかに見てもモルトケ直訳である。もちろん今日ではルーデンドルフを経てヒットラー流(?)に移ったが、依然としてドイツ流の直訳を脱してはいない。
日露戦争はモルトケの戦略思想に従い「主作戦を満州に導き、敵の主力を求めて遠くこれを北方に撃攘し、艦隊は進んで敵の太平洋艦隊を撃破し以て極東の制海権を獲得する……」という作戦方針の下に行なわれたのである。武力を以て迅速に敵の屈伏を企図し得るドイツの対仏作戦ならば、かくの如き要領で計画を立てて置けば充分である。元来、作戦計画は第一会戦までしか立たないものである。
しかしながら日本のロシヤに対する立場はドイツのフランスに対するそれとは全く異なっている。日本の対露戦争には単に作戦計画のみでなく、戦争の全般につき明確な見通しを立てて置かねばならないのではないか。これが私の青年時代からの大きな疑問であった。
日露戦争時代に日本が対露戦争につき真に深刻にその本質を突き止めていたなら、あるいは却ってあのように蹶起する勇気を出し得なかったかも知れぬ。
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