漢口時代の大部分を費やしたのであった。当時、日本の国防論として最高権威と目された佐藤鉄太郎中将の『帝国国防史論』も一読した。この史論は、明治以後に日本人によって書かれた軍事学の中で最も価値あるものと信ぜられるが、日本の国防と英国の国防を余りに同一視し、両国の間に重大な差異のあることを見遁している点は、遺憾ながら承服できなかった。かくて私は当時の思索研究の結論として、ナポレオンの対英戦争が、われらの最も価値ある研究対象であるとの年来の考えを一層深くしたのであった。明治四十三年頃、韓国守備中に、箕作博士の『西洋史講話』を読んで植え付けられたこの点に関する興味が、不断に私の思索に影響を与えつつあったのである。
 ただ、箕作博士の所論もマハン鵜呑みの点がある。後年、箕作博士が陸軍大学教官となって来られた際、一度この点を抗議して博士から少しく傾聴せられ来訪をすすめられたが、遂に訪ねる機会も無くそのままとなったのは、未だに心残りである。
 大正十二年、ドイツに留学。ある日、安田武雄中将(当時大尉)から、ルーデンドルフ一党とベルリン大学のデルブリュック教授との論争に関する説明をきき、年来の研究に対し
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