院ということが大きな仕事に打《ぶ》つかったように考えられていたが、夏以来渇ききっている世帯のなかからさしあたり相当の支度もしなければならぬことが、お銀にとっても一と苦労であった。
 医者が様子を見に来た時には、熱が大分下っていた。子供はしきりに「氷……氷……。」などと甲立《かんだ》った弱々しい声で呼んでいた。
「だって子供にもメリンスの蒲団くらいは新しく拵えなければ……そうあなたのように今が今というわけにも行きませんわ。」
 お銀はいよいよ入院と決まった時に、急《せ》き立つ笹村に言い出した。長いあいだ叔母を看護したことのあるお銀は、病院の派手な世界であることを知っていた。
「何もかもちぐはぐの物ばかりで、さアと言うと、まごつくんですもの。」
 笹村は長くそこにいられなかった。そして紛擾《ごたごた》する病室を出ると、いきなり帽子を取って外へ出て行った。

     六十八

 その晩九時ごろに、子供が病院に担ぎ込まれるまでには、笹村も一度家へ帰って病院へ交渉に行ったりなどした。
「九時少し過ぎまでならいいそうだから、とにかく今夜のうちに担ぎ込もう。」
 お銀はその時、母親と一緒に押入れから子供の着替えのようなものを出したり、身の周《まわ》りの入用なものを取り揃えたりしていた。茶の室《ま》の神棚や仏壇には、母親のつけた燈明が赤々と照って、そこにいろいろの人が集まっていた。
「どうか戻されるようなことがなければいいがね。」
「多分大丈夫だろう。まだそんなに手遅れているわけでもないんだから。」と言いながら、笹村は一足先へ出た。
「よくなって速く帰っておいでよ。」
 老人《としより》にそう言われると、子供は車のうえで毛布に包《くる》まっていながら、
「おばアちゃんお宅《うち》に待っちしておいで……。」と言って出て行った。
 そろそろと挽《ひ》かれる車が、待ち遠しがって病院の外まで出て見ている笹村の目に映った。
「坊や、解るかい。ほーらお父さん……。」などと、お銀は車のうえで、子供に話しかけながらやって来た。町はもう大分ふけて、風がしっとりしていた。
 病室と入口の違った診察室は、大きな黒門の耳門《くぐり》を潜《くぐ》ってから、砂利を敷き詰めた門内をずっと奥まったところにあった。中へ入ったのは笹村とお銀とだけであった。
 部屋が決められる間、衆《みんな》は子供を囲んで暗い廊下に立っていた。子供は火がつくようにまた便通を訴えた。勝手のわからない人たちは、そこらをまごまごした。
 病室は往来へ向いたかなり手広な畳敷きであった。薄暗い電燈の下に、白いベッドが侘《わび》しげに敷かれてあった。
「坊やいや。」子供はそのベッドに寝かされるのを心細がった。
「お家へ帰ろう。」
「病気がよくなったらね。いい児《こ》だからここへ寝んねするんですよ。お医師《いしゃ》さまに叱《しか》られますよ。」
「いやだ……帰ろう……。」子供は頑強《がんきょう》に言い張った。そして疳《かん》の募ったような声を出して泣き叫んだ。終いには腰の立たない体をベッドから跳《は》ね出して、そこらをのた打ちまわった。笹村はびしゃりとその頬を打ったが、子供は一層|怯《お》じ怖《おそ》れてもがいた。
 女中は女の子を負《おぶ》いながら、傍にうろうろしていた。
「どうも何だか駄目のようですね。」
 お銀は畳の上へ転がりだして、もがきつかれて急《せわ》しい息遣いをしながら眠っている子供の顔を眺めて、落胆《がっかり》したように言い出した。
「これじゃ助かるところも助からんかも知れませんよ。そのくらいならいっそ家で介抱してやった方がようござんすよ。可哀そうですもの。」
「そうだね。」笹村も溜息をついた。
 後で解って来たとおりに、この病院が温かく家庭的に出来ているのが、その晩の医員や女事務員のお世辞ッ気のない態度では、かえってその反対に受け取られた。それも何だか二人には厭であった。
「とにかく院長が診《み》るまで待とう。」
 院長はその日は、千葉の分院へ出張の日であった。
 寝たまま便を取らせたり、痛い水銀|灌腸《かんちょう》をとにかく聴きわけて我慢するほどに、子供が病室に馴《な》らされるまでには、それから大分|日数《ひかず》がかかった。
「病勢はもっともっと上る。その峠をうまく越せれば、後は大して心配はなかろう。」
 入院の翌日に、初めて診察に来た老院長の態度は尊いほど物馴れたものであった。

     六十九

 病室の片隅に、小さい薄縁《うすべり》を敷いてある火鉢の傍で、ここの賄所《まかないじょ》から来る膳や、毎日毎日家から運んでくる重詰めや、時々は近所の肴屋《さかなや》からお銀が見繕《みつくろ》って来たものなどで、二人が小さい患者の目に触れないようにして飯を食う日が、三十幾日と続いた。患者が人の物を食っているのを見て、柵《さく》のなかの猿のように、肉の落ちた頬をもがもがさせて、泣面《べそ》をかくほどに食欲が恢復《かいふく》して来たのは、院長からやっと二粒三粒の米があってもさしつかえのないお粥《かゆ》や、ウエーファ、卵の黄味の半熟、水飴《みずあめ》などを与えてもいいという許しが、順に一日か二日おいては出るころであったが、その以前でも飲食物その他何によらず、患者はおそろしく意地が曲っていた。
「坊や厭になった。」
 患者は院長のいわゆる苦しい峠を越して、熱がやや冷《さ》めかけてからは、ベッドの周《まわ》りに並べられたり、糸で吊るされたりしてある翫具《おもちゃ》にも疲れて来ると、時々さも飽き飽きしたようにベッドに腰かけて、乾いた唇の皮を噛《か》みながら、顔をしかめて気懈《けだる》そうに呟いた。
「ああそうともそうとも。」とお銀は傍から慰めた。
「もう少しの辛抱ですよ。辛抱していさえすれば、今に歩行《あんよ》もできるし、坊やの好きな西洋料理も食べられるし、衆《みんな》で浅草へでもどこへでも行きましょうね。」
 便が少しよくなるかと思うと、また気になる粘液が出たり、せっかくさがった熱が上ったりして、傍《はた》で思うほど捗々《はかばか》しく行かなかった。笹村は外から帰って来でもすると、きっと体温表を取りあげて見たり、検温器を患者の腋《わき》に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28、273−上−22]入《そうにゅう》したりして、失望したり、慣《じ》れったがったりしたが、外へ出ない時も、お銀にばかり委《まか》せておけなかった。
 微温湯《ぬるまゆ》の潅腸が、再び水銀潅腸に後戻りでもすると、望みをもって来た夫婦の心が、また急に曇った。笹村は潅腸をやったり、体温や脈搏《みゃくはく》などをとりに来る看護婦に、時々いろいろなむずかしいことを訊いた。
「あんまり訊くのはおよしなさいましよ。うるさがりますよ。」
 お銀は後で笹村に言った。
「もうあなたここまで漕《こ》ぎつけたんですもの。そう焦燥《やきもき》しないでいた方がよござんすよ。」
 今夜がもう絶頂だといって、院長が夜更《よなか》に特別に診察にまわって、心臓の手当てらしい頓服《とんぷく》をくれた前後の二、三日は、笹村は何事をも打ち忘れて昏睡に陥っている子供の枕頭《まくらもと》に附ききっていたが、時々|弛《ゆる》んだ心が、望みなさそうに見える子供から、ふと離れるらしいお銀の疲れた気無精《きぶしょう》な様子が目についた。それでなくとも笹村は、どうかすると気がいらいらして、いきなりお銀の頭へ手をあげるようなことがあったが、病児を控えている二人の心は、一緒に旅をして狭い船へでも乗った時のように和らぎあっていた。小さい生命を取り留めようとしている優しい努力、それをほかにしてはほとんど何の背景もなしに、二人は毎日顔を向け合っていた。
「坊が癒《なお》ったら温泉へでも行くかね。」
 笹村は明け方子供の傍に、突っ伏している妻の窶《やつ》れた姿を見出すと言いかけた。
「お前も疲れたろう。」
「いいえ。」お銀はくたびれた目を開けると、咎《とが》められでもしたように狼狽《あわ》てて顔をあげてにっこりした。
 窓の外が白々と明けかかって、すやすやした風が蚊帳の中まで滲《し》みて来た。笹村は意地くれた愛憎の情の狂いやすい自分の日常生活から、大分遠ざかっているような気がした。

     七十

 入院当時には満員であった病室が、退院するころにはぽつぽつ空きができて来た。まだ九月の半ばだというのに強い雨が一度降ってからは、急に陽気が涼しくなって、夜分などは白いベッドの肌触りが冷たいほどであった。お銀は家からセルなどを取り寄せたが、もうそんなころかと思うと、何だか心細かった。
 空が毎日曇って、病院のなかはじめじめしていた。どうかすると森《しん》と静まることのある古い建物のなかに、バタンと戸を閉める音などが遠くの方でするかと思うと、どこからか子供の泣き声が聞えたり、女の笑い声が洩れたりした。入院患者のなかには、子供を女中と看護婦に委《まか》しきりで、自分たちは時々着飾って一日外で遊んで来る若い下町風の夫婦があったり、沼津へ避暑に来ていて、それなり発病した子供を連れて来ている大阪弁の女がいたりした。死骸になった子供に白いものを着せて抱いて出て行く若い細君、全治した子を着飾らせて、幾台かの車を連ねて威勢よく退院する人、それらは残らず笹村の病室の窓から透《すか》し視《み》られるのであったが、そのたんびに夫婦はわが子の病勢を悲観したり、日数のかかるのを憤《じ》れったがったりした。
 お銀が翫具《おもちゃ》を交換したり、菓子のやり取りをしたりしている神さんも、一人二人あった。
「あの人の家は、浅草の区役所の裏の方だそうですよ、退院したら、きっと遊びに来てくれなんてね、莫大小《メリヤス》の工場なんかもってかなり大きくやっているらしいんですよ。あんなお世辞気のない人ですけれど、どことなく好いたような気象の人ですの。私の顔さえみるといろいろなことを話しかけて、先方《むこう》でも私のことをそう言うんですよ。」
 お銀はその病室から、そのころ出たての針金を縮ませて足を工夫した蜘蛛《くも》や蛸《たこ》の翫具を持って来て、それを床の上にかけわたされた糸に繋《つな》いだ。
 退屈がっている正一は、しばらくのまもお銀を傍から放さなかった。お銀は子供の寝息を窺《うかが》って、やっと手洗《ちょうず》をつかいに出たり厠《かわや》へ行ったりした。
「ちっと二階へでもあがって見ましょうね。そうしたら少しは気がせいせいしていいかも知れない。二階からは坊やの大好きな電車が見えてよ。」
 お銀はそう言って、正一を負《おぶ》い出した。そして次の女の子を負っている女中と一緒に、二階の廊下へ出て窓から外を眺めさせた。子供は少し見ていると、もうじきに飽いて来た。
 病室に飽きの来た笹村は、時々家へ来て、明け払ったような座敷の真中に、疲れた体を横たえた。庭には松や柘榴《ざくろ》の葉が濃く繁って、明るい小雨がしとしとと灑《そそ》いでいた。長いあいだ病室に閉じ籠って、どうかするとルーズになりがちな女のすることに気を配ったり、自身に夜昼体を働かして来たことが振り顧《かえ》られた。笹村は、始終苦しい夢に魘《うな》されているようであった。
 綺麗に取り片着けられた机のうえに二、三通来ている手紙のなかには、甥が報じてやったまだ見ぬ孫の病気を気遣って、長々と看護の心得など書いてよこした老母の手紙などがあった。手紙の奥には老母の信心する日吉《ひよし》さまとかの御洗米が、一ト袋|捲《ま》き込まれてあった。老母は夜の白々あけにそこへ毎日毎日孫の平癒《へいゆ》を祈りに行った。
 それを読んでいる笹村の目には、弱い子を持った母親の苦労の多かった自分の幼いおりのことなどが、長く展《ひろ》がって浮んだ。同じ道を歩む子供の生涯《しょうがい》も思いやられた。そうしていつかは行き違いに死に訣《わか》れて行かなければならぬ、親とか子とか孫とかの肉縁の愛着の強い力を考えずにはいられなかった。

     七十一

 刺身だとか、豆腐
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