の今夜ですから、酒はお罷《よ》しなすった方がようござんすらに。」
大分経ってから、母親がそこへ顔を出した。
「いいじゃないか。僕が飲むと言ったら。」笹村は吐き出すように言った。
しばらくすると、出し渋っていた酒が、そこへ運ばれて、鰹節《かつぶし》を掻く音などが台所から聞えて来た。
「お銀に来て酌《しゃく》をしろって……。」
笹村が言って笑うと、K―も顔を見合わせて無意味にニタリと笑った。
「おい酌をしろ。」笹村の声がまた突っ走る。
夕化粧をして着物を着換えたお銀が、そこへ出て坐ると、おどおどしたような様子をして、銚子《ちょうし》を取りあげた。睡眠不足の顔に著しく窶《やつ》れが見えて、赭《あか》い目も弛《ゆる》み唇も乾いていた。K―はこだわりのない無邪気な顔をして、いつ飲んでもうまそうに続けて二、三杯飲んだ。
「お前行くところがなくなったら、今夜からKさんのところへ行ってるといい。」笹村はとげとげした口の利き方をした。
「うむそれがいい。己《おれ》が当分引き取ってやろう。今のところ双方のためにそれが一番よさそうだぜ。」
K―は光のない丸い目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−
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