せんよ。」
 女は別れる前に、ある晩笹村と外で飲食いをした帰りに、暗い草原の小逕《こみち》を歩きながら言った。女は口に楊枝《ようじ》を啣《くわ》えて、両手で裾《すそ》をまくしあげていた。
「田舎へも、しばらくは居所を知らさないでおきましょうよ。」
 笹村は叢《くさむら》のなかにしゃがんで、惘《あき》れたように女の様子を眺《なが》めていた。
「そんなに行き詰っているのかね。」
「だけど、もう何だか面倒くさいんですから……。」女は棄て鉢のような言い方をした。
 二、三日|暴《あ》れていた笹村の頭も、その時はもう鎮《しず》まりかけていた。自分が女に向ってしていることを静かに考えて見ることも出来た。

     十一

 母親と顔を突き合わす前に、どうにか体の始末をしようとしていたお銀は、母親が帰って来ても、どうもならずにいた。出て行く支度までして、心細くなってまた考え直すこともあった。この新開町の入口の寺の迹《あと》だというところに、田舎の街道にでもありそうな松が、埃《ほこり》を被《かぶ》って立っていた。賑《にぎ》やかなところばかりにいたお銀は、夜その下を通るたびに、歩を迅《はや》める癖があ
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