足の支《つか》える蚊帳のなかに起きあがって、唸《うな》るように呟《つぶや》いた。
 笹村は、六畳の方で、窓を明け払って寝ていた。窓からは、すやすやした夜風が流れ込んで、軽い綿蚊帳が、隣の廂間《ひさしあい》から差す空の薄明りに戦《そよ》いでいた。
 ばたばたと団扇《うちわ》を使いながら、いつまでも寝つかれずにいるお銀の淡白《うすしろ》い顔や手が、暗いなかに動いて見えた。

     七

「……厭なもんですよ。終《しま》いに別れられなくなりますから。」
 お銀はある晩、六畳へ蚊帳を吊《つ》っていながら真面目にそう言った。
 互いに顔を突き合わすのを避けるようにして過ぎた日のことを、振り顧って話し合うように二人は接近して来た。
 お銀は机の傍《そば》へ来て、お鈴に褫《うば》われた男のことを、ぽつぽつ話し出した。
「どんな男です。」笹村もそれを聞きたがった。
 お銀は括《くく》られているようなその顎《あご》を突き出して、秩序もなく前後のことを話した。
「晩方になると、私家を脱《ぬ》け出して、お鈴の部屋借りをしていた家の前へ立っていたんですよ。すると二人の声がするもんですから、いつまでもじっと
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