った。それを、ちらりと見た笹村の目には、世に棄《す》て腐れている女のようにも思えた。笹村は黙ってその側を通って行った。
二、三日降り続いた雨があがると、蚊が一時にむれて来た。それでなくともお銀は暑くて眠られないような晩が多かった。そして蚊帳《かや》が一張《ひとはり》しかなかったので、夜おそくまで、蝋燭《ろうそく》の火で壁や襖《ふすま》の蚊を焼き焼きしていた。そんなことをして、夜を明かすこともあった。
「私も四ツ谷の方から取って来れば二タ張《はり》もあるんですがね。」
お銀は肉づいた足にべたつくような蚊を、平手で敲《たた》きながら、寝衣姿《ねまきすがた》で蒲団のうえにいつまでも起き上っていた。
翌日笹村は独り寝の小さい蚊帳を通りで買って、新聞紙に包んで抱えて帰った。そしてそれをお銀に渡した。
「こんな小さい蚊帳ですか。」お銀は拡げてみてげらげら笑い出した。そして鼠《ねずみ》の暴れる台所の方を避けて、それをわざと玄関の方へ釣《つ》った。土間から通しに障子を開けておくと、茶の間よりかそこの方が多少涼しくもあった。
「こんなに狭くちゃ、ほんとに寝苦しくて……。」大柄な浴衣を着たお銀は、手
前へ
次へ
全248ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング