は充血したような目に涙をためて、顔を顰《しか》めながら、笹村のかした手に取り着いていきんだ。そのたんびに顔が真赤に充血して、額から脂汗《あぶらあせ》がにじみ出た。いきみ罷《や》むと、せいせい肩で息をして、術なげに手をもじもじさせていた。そして時々頭を抬《もた》げて、当てがわれた金盥《かなだらい》にねとねとしたものを吐き出した。宵《よい》に食べたものなどもそのまま出た。
九時十時と不安な時が過ぎて行ったが、産婦は産婆に励まされて、いたずらにいきむばかりであった。体の疲れるのが目に見えるようであった。
「ああ苦しい……。」
お銀は硬い母親の手に縋《すが》りついて、宙を見つめていた。
「どういうもんだかね。」
十二時過ぎに母親は家の方へ来ると、首を傾《かし》げながら笹村に話しかけた。
「難産の方かね。」
火鉢の傍に番をしていた笹村は問いかけた。
「まアあまり軽い方じゃなさそうですね。」
「医者を呼ぶようなことはないだろうか。」
「さあ……産婆がああ言って引き受けているから、間違いはあるまいと思いますけれどね。」
そのうちに笹村は疲れて寝た。
魘《うな》されていたような心持で、明朝《あした》目のさめたのは、七時ごろであった。
茶の室《ま》へ出てみると、母親は台所でこちゃこちゃ働いていた。
お銀はまだ悩み続けていた。
二十七
産婆が赤い背《せなか》の丸々しい産児を、両手で束《つか》ねるようにして、次の室《ま》の湯を張ってある盥の傍へ持って行ったのは、もう十時近くであった。産児は初めて風に触れた時、二声三声|啼《な》き立てたが、その時はもうぐったりしたようになっていた。笹村は産室の隅の方からこわごわそれを眺めていたが、啼き声を立てそうにすると体が縮むようであった。ここでは少し遠く聞える機械鍛冶の音が表にばかりで、四辺《あたり》は静かであった。長いあいだの苦痛の脱けた産婦は、「こんな大きな男の子ですもの。」と言う産婆の声が耳に入ると、やっと蘇《よみがえ》ったような心持で、涙を一杯ためた目元ににっこりしていたが、すぐに眠りに沈んで行った。汗や涙を拭き取った顔からは血の気が一時に退《ひ》いて、微弱な脈搏《みゃくはく》が辛うじて通っていた。
産婆は慣れた手つきで、幼毛《うぶげ》の軟かい赤子の体を洗ってしまうと、続いて汚れものの始末をした。部屋にはそういうものから来る一種の匂いが漂うて、涼しい風が疲れた産婦の顔に、心地よげに当った。笹村の胸にもさしあたり軽い歓喜《よろこび》の情が動いていた。
「随分骨が折れましたね。」産婆はやっと坐って莨《たばこ》を吸った。
「このぐらい長くなりますと、産婆も体がたまりませんよ。私もちょッと考えたけれど、でも頭さえ出ればもうこっちのものですからね。」
「そんなだったですか。」と言うように笹村は産婆の顔を見ていた。
頭が出たきりで肩がつかえていた時、「それ、もう一つ……。」と産婆に声をかけられて、死力を出していた産婦の醜い努力が、思い出すとおかしいようであった。
「もっと自然に出るということに行かないもんですかね。」
「そんな人もありますよ。けど何しろこのぐらいの赤ちゃんが出るんですもの。」と産婆は笑った。笹村は当てつけられているような気がして、苦笑していた。
汚い聴診器で産婦の体を見てから、産後の心着きなどを話して引き揚げて行くと、部屋は一層静かになった。
母親は黙って、そこらを片着けていたが、笹村も風通しのいい窓に腰かけて、いつ回復するとも見えぬ眠りに陥《お》ちている産婦の蒼い顔を眺めていたが、時々傍へ寄って赤子の顔を覗《のぞ》いて見た。
その日は産を気遣って尋ねてくれた医師《いしゃ》と一緒に、笹村は次の室《ま》で酒など飲んで暮した。産婦は目がさめると、傍に寝かされた赤子の顔を眺めて淋しい笑顔を見せていたが、母親に扶《たす》けられて厠《かわや》へ立って行く姿は、見違えるほど痩せてもいたし、更《ふ》けてもいた。赤子は時々、じめじめしたような声を立てて啼いた。笹村は、牛乳を薄く延ばして丸めたガーゼに浸して、自分に飲ませなどした。
翌朝《あした》谷中の俳友が訪ねて来た時、笹村は産婦の枕頭《まくらもと》に坐っていた。
「そう、それはよかった。」
裁卸《たちおろ》しの夏羽織を着た俳友は、産室の次の室へ入って来ると、いつもの調子でおめでたを述べた。沈んだ家のなかの空気が、にわかに陽気らしく見えた。
「どうだね、それで……。」と、俳友はいろいろの話を聴き取ってから、この場合笹村の手元の苦しいことを気遣った。
「少しぐらいならどうにかしよう。」
「そうだね、もし出来たらそう願いたいんだが……。」笹村はそのことも頼んだ。
二人の前には、産婦が産前に好んで食べた苺《いちご》が皿に盛られ
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