な》と一緒に、病室を引き揚げた。
笹村が、ある晩二度目に尋ねて行った時には、広い部屋はいろいろの物が持ち込まれてあった。見慣れぬ美しい椅子があったり、綺麗な盆栽が飾られたりしてあった。火鉢、鍋、茶碗、棚、飲料、果物、匙《さじ》やナイフさえ幾色か、こちゃこちゃ持ち込まれてあった。新刊の書物、本の意匠の下図、そんなものもむやみに散らかっていた。船艙《せんそう》の底にでもいるように、敷き詰めた敷物の上に胡坐《あぐら》を掻いて、今一人来客と、食味の話に耽《ふけ》っている先生の調子は、前よりも一層元気がよかった。
「朝目のさめた時なんざ、こんなものでも枕頭《まくらもと》にあると、ちょッといいものさ。」
先生はそこにあった鉢植えの菫《すみれ》の話が出ると、花を瞶《みつ》めていながら呟いた。先生はこれまで花などに趣味をもったことはなかった。
※[#「やまいだれ+鬼」、204−下−14]の胃癌《いがん》であることが確かめられた日に、O氏とI氏とが、夜分打ち連れて笹村を訪ねた。笹村は友人の医者に勧められて、初めて試みた注射の後、ちょうど気懈《けだる》い体を出来たての蒲団に横たえてうつらうつらしていた。
お銀は狼狽《うろた》えて、裏の方へ出て行った。
二十二
「それで問題は、切開するかしないかということなんだがね。Jさんなどは、どうせそのままにしておいていけないものなら、思いきって手術した方がいいということを言っているんだ。」
「そうすれば確かに効果があるのかね。」
「それが解らないんだそうだ。体も随分衰弱しているし、かえって死を早める危険がないとも限らんと言うのだからね。」
「それに切開ということはどうもね……先生もそれを望んではいらっしゃらないようだ。」
ひそひそした話し声がしばらく続いていた。やがて二人はほぼ笹村の意嚮《いこう》をも確かめて帰って行った。
「へえ……お気の毒ですね。」
お銀は客の帰った部屋へ入って来て、火鉢の傍へ坐った。
「三十七という年は、よくよく悪いんだと見えますね。私の叔父がやはりそうでしたよ。」
笹村は懈《だる》い頭の髪の毛を撫《な》でながら、蒲団のうえに仰向いて考え込んでいた。注射をした部分の筋肉に時々しくしく[#「しくしく」に傍点]痛みを覚えた。
「……伝通院《でんずういん》前の易者に見ておもらいなすったらどうです。それはよく判りますよ。」お銀はまた易者のことを言い出した。
笹村は翌日早く、その易者を訪ねたが、その日はあいにく休みであった。帰りに伝通院の横手にある大黒の小さい祠《ほこら》へ入って、そこへ出ているある法師《ぼうず》について観《み》てもらうことにした。法師は綺羅美《きらび》やかに着飾った四十近くの立派な男であった。在から来たらしい屈託そうな顔をした婆さんに低い声で何やら言って聞かしていたが、髪の蓬々《ぼうぼう》した陰気そうな笹村の顔を時々じろじろと見ていた。指環《ゆびわ》や時計をぴかぴかさした貴婦人が一人、手提げ袋をさげて、腕車《くるま》から降りて入って来ると、法師は笑《え》み交すようにしおしおした目をした。女はそのまま奥へ入って行った。
「これアとても……。」
法師は水晶の数珠《じゅず》の玉を指頭《ゆびさき》で繰ると、本を開けて見ながら笹村に言いかけた。
「もう病気がすっかり根を張っている。」
「手術の効《かい》はないですか。」
「とても……。」と反《そ》りかえって、詳しく見る必要はないという顔をした。
笹村は金の包みを三宝に投《ほう》り込むようにしてそこから出た。
その日M先生を訪ねると、仕事場のようであった先生の部屋は綺麗に取り片着いていた。先生は髪などもきちんと分けて、顔に入院前のような暗い影が見えなかった。傍には他の人も来ていた。
「今朝も××が来て、この際何か書けるなら、出来るだけのことはするとか言ってくれたがね、まあ病気でも癒《なお》ってから願おうと言っておいた。己はこんなにまでなって書こうとは思わん。」と先生はその吝《しみ》ったれを嗤《わら》うように苦笑した。何もこの病人に書かさなくたって好意があるなら……という意味も聴き取れた。
「それに己は病気してから裕福になったよ。△△が昨日も来てハンドレッドばかり置いて行ってくれるし、何ならちっと御用立てしましょうかね。」と言って笑った。
笹村は、M先生のある大きな仕事を引き受けることになってから、牛込《うしごめ》の下宿へ独りで引き移った。その前には、家族と一緒に先生の行っていた海岸の方へも一度訪ねて行って、二、三日をそこで遊んで過ごした。海岸はまだ風が寒く、浪《なみ》も毎日荒れつづいて、はっきりした日とてはなかった。笹村はちょうどまた注射の後の血が溷濁《こんだく》したようになって、頭が始終重く慵《だる》か
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