んですがな。」
 O氏が言い出すと、
「うむ……たまらんさ。」と、先生も部屋を見廻して軽く頷《うなず》いたが、眉《まゆ》のあたりが始終曇っていた。それでもこのような日に衆《みんな》が聚《あつ》まって来ているということが、大いなる満足であった。そしていつもより調子が低く、気分に思い屈したようなところはあったが、話は相変らずはずんで、力のない微笑と一緒に軽い洒落も出た。
「ここを推してごらん。」
 先生は、病気の話が出たとき、痩せた下腹のあたりを露《あら》わして、※[#「やまいだれ+鬼」、203−下−15]《しこり》のあるところを手で示した。
「痛《いと》ござんしょう。」
「いやかまわんよ。」
「なるほど大分大きゅうござんすですな。」
 M先生は※[#「やまいだれ+鬼」、203−下−19]の何であるかを診察させるために、二週間ここにいなければならなかった。先生がこの※[#「やまいだれ+鬼」、203−下−20]を気にし出したのは、よほど以前から素地《したじ》のあった胃病が、大分|嵩《こう》じて来てからであった。先生はそのころから、筆を執るのが億劫らしく見受けられた。
「それはしかし誰かいい医師《いしゃ》に診《み》ておもらいになった方がようござんしょう。」
 笹村も※[#「やまいだれ+鬼」、204−上−3]《しこり》に不審を抱いて、一、二度勧めたことがあった。
「お前の胃はこのごろどうかね。」
 先生は時々笹村に尋ねた。その顔には、少しずつ躙《にじ》られて行くような気の衰えが見えた。
 笹村は新たに入った社の方の懸賞俳句の投稿などが、山のように机の上に積んであるのを見受けた。今まで道楽であった句選が、このごろ先生の大切な職務の一つとなったのが、惨《いた》ましいアイロニイのように笹村の目に閃《ひらめ》いた。
「己《おれ》は病気になるような悪いことをしていやしない。周囲が己を斃《たお》すのだ。」
 先生は激したような調子で言った。その声にはこの二、三年以来の忙しい仕事や煩いの多い社交、冷やかな世間の批評に対して始終鼻張りの強かった先生の心からの溜息も聞かれるようであった。
 ある胃腸病院へ診察を求めに行ったころは、そこの院長もまだはっきりした診断を下しかねていた。するうちに※[#「やまいだれ+鬼」、204−上−21]の部分に痛みさえ加わって来た。
 その日は、日暮れ方に衆《みん
前へ 次へ
全124ページ中34ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング