平気で見ていられそうもないからね。」
 笹村は、冴え冴えした声でいつに変らず裏で地主の大工の内儀《かみ》さんと話していたお銀が入って来ると、じきに捉《つかま》えてその問題を担ぎ出した。
「そうやっておけば、一日ましに形が出来て行くばかりじゃないか。」
「え、そうですけれど……。」
 お銀はただ笑っていた。
「今朝は何だかこう動くような気がしますの。」
 お銀は腹へ手を当てて、揶揄《からか》うような目をした。
「だけど、そう一時に思いつめなくてもいいじゃありませんか。あなたはそうなんですね。」
 お銀は不思議そうに笹村の顔を見ていた。
 気がくさくさして来ると、お銀は下谷の親類の家へ遊びに行った。
「今日は一つ小使いを儲《もう》けて来よう。」と言って化粧などして出て行った。
 親類のうちでは、いつでも二、三人の花の相手が集まった。「兄さん」のお袋に友達、近所に囲われている商売人あがりの妾などがいた。お銀はその人たちのなかへ交って、浮き浮きした調子で花を引いた。そこで磯谷の噂なども、ちょいちょい耳に挟《はさ》んだ。
「お前も何だぞえ、そういつもぶらぶらしていないで、また前のような失錯《まちがい》のないうちに田舎へでも行って体を固めた方がいいぞえ。」
 そこのお婆さんは顔さえ見ると言っていたが、お銀はどちらへ転んでも親戚の厄介《やっかい》になぞなりたくないと思っていた。どんなに困っても家のない田舎へなぞ行こうと思わなかった。

     十八

 暮に産をする間の隠れ場所を取り決めに、京橋の知合いの方へ出かけて行ったお銀は、年が変ってもやはり笹村の家に閉じ籠《こも》っていた。
 笹村にせつかれて、菓子折などを持って出かけて行くまでには、お銀は幾度も躊躇《ちゅうちょ》した。丸薬なども買わせられて、笹村の目の前で飲むことを勧められたが、お銀は売薬に信用がおけなかった。「そのうち飲みますよ。」と、そのまま火鉢のなかにしまっておいた。薬好きな笹村は、始終いろいろな薬を机の抽斗に絶やさなかった。知合いの医者から無理に拵えてもらったのもあるし、その時々の体の状態を自分自身で考えて、それに応じて薬種屋から買って来たのもある。それにお銀の体に毒気があるということを聞いてからは、一層自分の体に不安が増して来た。血色は薄いが、皮膚だけは綺麗であったお銀の顔に、このごろ時々自分と同じような、ぼ
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