ていたK―が、国から少し纏《まと》まった金を取り寄せて、東京で永遠の計を立てるつもりで建てた貸家の一つであった。切り拓《ひら》いた地面に二|棟《むね》四軒の小体《こてい》な家が、ようやく壁が乾きかかったばかりで、裏には鉋屑《かんなくず》などが、雨に濡《ぬ》れて石炭殻を敷いた湿々《じめじめ》する地面に粘《へば》り着いていた。
笹村は旅から帰ったばかりで、家を持つについて何の用意も出来なかった。笹村は出京当時世話になったことのある年上の友達が、高等文官試験を受けるとき、その試験料を拵《こしら》えてやった代りに、遠国へ赴任すると言って置いて行った少しばかりのガラクタが、その男の親類の家に預けてあったことを想い出して、それを一時|凌《しの》ぎに使うことにした。開ける時キイキイ厭《いや》な音のする安箪笥《やすだんす》、そんなものは、うんと溜《たま》っていた古足袋《ふるたび》や、垢《あか》のついた着物を捻《ね》じ込んで、まだ土の匂いのする六畳の押入れへ、上と下と別々にして押し込んだ。摺《す》り減った当り棒、縁のささくれ立った目笊《めざる》、絵具の赤々した丼《どんぶり》などもあった。
長い間胃弱に苦しんでいた笹村は、旅から持って帰った衣類をどこかで金に換えると、医療機械屋で電気器械を一台買って、その剰余《あまり》で、こまこましたいろいろのものを、時々|提《さ》げて帰って来た。
机を据《す》えたのは、玄関横の往来に面した陰気な四畳半であった。向うには、この新開の町へ来てこのごろ開いた小さい酒屋、塩煎餅屋《しおせんべいや》などがあった。筋向いには古くからやっている機械|鍛冶《かじ》もあった。鍛冶屋からは、終日機械をまわす音が、ひっきりなしに聞えて来たが、笹村はそれをうるさいとも思わなかった。
下谷《したや》の方から来ていた、よいよいの爺《じい》さんは、使い歩行《あるき》をさせるのも惨《みじ》めなようで、すぐに罷《や》めてしまった。
「あの書生たちは、自分たちは一日ごろごろ寝転《ねころ》んでいて、この体の不自由な老人を不断に使いやがってしようがない。」
爺さんは破けた股引《ももひき》をはいてよちよち使いあるきに出ながら、肴屋《さかなや》の店へ寄って愚痴をこぼしはじめた。
「あの爺さんしようがないんですよ。それに小汚《こぎたな》くてしようがありませんや。」肴屋の若《わか》い衆《
前へ
次へ
全124ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング