けた。子供は翫具を持って一人で遊ぶようになっていた。
お銀はそのころまだ長火鉢の抽斗《ひきだし》にしまってあった丸薬を取り出して、時々笹村に見せた。
「あの時のことを思うと、情ないような気がする。」
お銀は目を曇《うる》ませながら、傍に遊んでいる子供の顔を眺めた。
「坊は阿母《おっか》さんが助けてあげたんだよ。大きくなったら、また阿母さんがよく話して聞かしてあげるからね。」
お銀は笹村を厭がらせるような調子で言った。
「あの時のことを忘れないために、この丸薬はいつまでもこうやってしまっておきましょうね。」
「莫迦《ばか》。」笹村は苦笑した。
お銀は胎児のために乳を褫《うば》われようとして、日に日に気のいじけて来る子供のうるささを、少しずつ感じて来た。そして老人《としより》の手に懐《なつ》けさせようとしたが、子供は母親よりもしなやかでない老人の手を嫌った。夜笹村の部屋で寝ようとするお銀の懐へ絡《まつわ》りついて来る子供は、時々老人の側へ持って行かれたが、やはり駄目であった。子供に対して細かしい理解のない老人の手に扱われて泣いている子供の声は、傍に見ている笹村の頭脳《あたま》に針を刺すように響いた。
「お前見たらいいじゃないか。」
笹村はお銀に顔を顰《しか》めたが、長いあいだ襁褓《むつき》の始末などについて、母親に委《まか》しきりにして来たお銀は、そんなことには鈍かった。お銀の体のきまりのつく前と後では、子供に対する父と母の心持は、まるで反対であった。
四十六
お銀の遠縁にあたるという若い画家が一人神田の方にいた。山内というその男と笹村も一、二度どこかで顔を合わして相知っていた。お銀のことを表向きにするについて、笹村は自分のところへ出入りしている山内の従弟《いとこ》の吉村によって、ふと山内のことを思い出させられていた。吉村の家と近しくしていたお銀の父親は、山内の父親とも相識の間柄であった。
春、笹村が幾年ぶりかで帰省する前に、笹村夫婦と山内とは、互いに往来《ゆきき》するほどに接近して来た。
ある晩方年始の礼に来た山内は、ぐでぐでに酔っていた。一度盛んに売り出したことのある山内は、不謹慎な態度から、そのころ一部の人の反感を受けていた。その風評を耳にしていた笹村の頭にも、山内という名はあまりよい印象を遺していなかったが、吉村やお銀の母親から聞か
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