せせこましい路次のあいだに、当てどもなしに彷徨《うろつ》いているその姿が見出されたり、どこへも入りそびれて、思いがけない場末に、人気の少い鶏屋《とりや》などの二階の部屋の薄白い電燈の下で、淋しい晩飯にありついていたりした。それで懐が淋しくなって来ると、静かな郊外にある、兄の知合いの家に引っ込んで、刺戟《しげき》に疲れた頭を休めたり、仕事に耽《ふけ》ったりした。
九州からの帰途、二度目に大阪を見舞った時には、二月も浸っていたそこのあくどい空気に堪えられないほど、飽き荒《すさ》んだ笹村の頭は冷やされかけていた。そして静かに思索や創作に耽られるような住居《すまい》を求めに、急いで東京へ帰った。
笹村は自分の陥ちて来たところが、このごろようやく解って来たような気がした。
「どこかへ行こうか。」
少し残った金を、机の抽斗《ひきだし》に入れていた笹村は、船や汽車や温泉宿で独り旅の淋しかったことを想い出していた。
「それから道具を少し買わなけア。家みたいに何にもない世帯もちょっとめずらしいですよ。」
お銀は火鉢に寄りかかりながら部屋を見廻した。
「もし行くなら、一度坊やにお詣《まい》りをさせたいから成田さんへ連れて行って下さい。お鳥目《あし》がかからないでよござんすよ。」
「あすこなら人に逢う気遣いがないから、それもよかろう。鉱泉だけど、一晩くらい泊るにちょうどいい湯もあるし……」
「いつ行きます。」
「今日はもう遅いだろうか。」
「向うへ行けば日が暮れますね。」
翌朝笹村が目をさますと、お銀はもう髪を束髪に結って、襦袢《じゅばん》の半衿《はんえり》などをつけていた。それは二月の末で、昨夜からの底冷えが強く、雪がちらちら降り出したが、それでも時々障子に日影がさして来た。
汽車のなかで子供は雫《しずく》のたらたら流れる窓硝子《まどガラス》に手をかけて、お銀の膝に足を踏ん張りながら声を出して騒いだ。背後《うしろ》の方から、顔を覗《のぞ》いて慰《あや》したり、手を出しておいでおいでをする婦人などがあった。
プラットホームを歩いて行くお銀の束髪姿は、笹村の目にもおかしかった。
「家鴨《あひる》のようだね。」
笹村は後から呟いた。
「そんなに私肥っていて。」お銀は自分の姿を振り顧り振り顧りした。
子供を車夫に抱かせて、二人はそっちこっちの石段を昇ったり降りたりしたが、明る
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