を持って来い。」と叫んだ先生は、寄って行った連中の顔を、曇《うる》んだ目にじろりと見廻した。
「……まずい物を食って、なるたけ長生きをしなくちゃいけない。」先生は言い聞かした。
 腰に絡《まつわ》りついている婦人連の歔欷《すすりなき》が、しめやかに聞えていた。二階一杯に塞《ふさ》がった人々は息もつかずに、静まり返っていた。後の方には立っている人も多かった。
 先生の息を引き取ったのは、その日の午後遅くであった。
 葬式が出るまでには、笹村は二度も家へ帰った。急いで書き揚げられた原稿を売りに、ある雑誌の編輯者《へんしゅうしゃ》の自宅を訪ねなどもした。生前M先生と交渉のなかったその記者は、周りにいろいろの陶器を集めて楽しんでいた。そしてとろ[#「とろ」に傍点]火で湯を沸かしてある支那製の古い土瓶について説明して聞かした。
 薄汚い焼物が、棚から卸《おろ》されたり、箱のなかから恭《うやうや》しく取り出されたりした。そして一々説明が附せられた。その記者が書きかけている小説の思構《しこう》なども話された。それは昔の吉原の地震を材料にしたもので、仏教から得て来た因果律のような観念が加わっていた。
 笹村は厭な顔もせずに、それを聴いていたが、葬式の時の自分の準備のことが気にかかった。話好きの記者は、サビタのパイプを磨《みが》きながら、話をいろいろの方へ持って行った。
 牛込へ帰って来ると、今朝しとしと降る雨のなかを、縁先から釣り台に載せられて、解剖室の方へ運ばれて行った先生の死骸が、また旧のとおり綺麗に縫いあわされて、戻って来てから、大分経った後であった。玄関には弔《くやみ》に来る人影もまだまれであった。
「先生はやはり異常な脳を持っていられたそうだ。」
 玄関ではそんな話が始まっていた。
「どうして解剖などということを言い出したろう。」
 笹村は死際までも幾分人間|衒気《げんき》のついて廻ったような、先生の言出しを思わないわけに行かなかった。
「私もお葬式《とむらい》が見たい。」
 支度をしに、笹村が家へ帰ったときお銀は甘えるように言ったが、先に半年ばかり縁づいていた家の親類のいる牛込のその界隈が、心遣《こころづか》いでもあった。
 葬式の出る前は沸騰《にえかえ》るようなごたつきであった。家の内外《うちそと》には、ぎッしり人が塞《つま》って、それが秩序もなく動いていた。
 葬式
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