はそうも言った。
翌朝《あした》目のさめたころには、縁側の板戸がもう開けられてあった。欄干《てすり》には、昨夜《ゆうべ》のお増の着物などがかけられて、薄い冬の日影が、大分たけていた。聞きなれた静子の唱歌の声も、階下から洩れて来た。
三十六
じきに、思いがけない縁談のことで、お今が一旦田舎へ呼び戻されることになった。
お今が、どうしても厭な田舎へ、ちょっとでも行って来なければならぬことに決まるまでに、二度も三度も、兄から手紙が来た。兄は郡役所などへ勤めて、田舎でも野原《のら》へなど出る必要もない身分であったが、かなりな製糸場などを持って、土地の物持ちの数に入っているある家の嫁に、お今をくれることに、肝《きも》を煎《い》ってくれる人のあるのを幸い、浅井に一切を依託してあった妹を急に自分の手に取り戻そうとするのであった。
婿にあたる男は、以前東京にもしばらく出ていたことがあった。妙に紛糾《こぐらか》った親類筋をたどってみると、その家とお今の家との、遠縁続きになっていることや、その製糸工場の有望なことや、男が評判の堅人《かたじん》だということなどが、兄の心を根柢《こんてい
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