しらと明けて来た。
「翌朝《あした》こそ帰りましょう。」
昨夜《ゆうべ》一晩中思い続けていたお増は、朝になると、いくらか気が晴れて、頭脳《あたま》のなかのもやもやした妄想《もうそう》が、拭うように消えて行った。
雨の霽《あが》った空には、山の姿がめずらしくはっきりして見えた。部屋から見える川筋にも、柔かい光が流れていた。
朝飯の膳のうえに、病気の容体を気にしているお今の葉書が載っていた。家には何のこともないらしかった。
三十三
三週間というのを、やっと二週間そこそこで切り揚げて来たお増は、嶮《けわ》しい海岸の断崖《だんがい》をがたがた走る軽便鉄道や、出水《でみず》の跡の心淋《うらさび》しい水田、松原などを通る電車汽車の鈍《のろ》いのにじれじれしながら、手繰《たぐ》りつけるように家へ着いたのであった。いつも、じーんと耳の底が鳴るくらい淋しい湯宿の部屋にいつけた頭脳《あたま》は、入って来た日暮れ方の町の雑沓《ざっとう》と雑音に、ぐらぐらするようであった。
お増はがっかりしたような顔をして、べったり長火鉢の前に坐って、そこらを見廻していた。
「まあ早かったこと。」
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