《けんか》したとかいって、一度泊りがけでやって来たことがあったが、その時はじきに青柳が来て連れて行った。
 黒い眼鏡などをかけた青柳は、そのおり浅井にもちょっと逢って挨拶をして行った。あまり風体《ふうてい》のよくない、そんな男の出入りすることは、浅井には快くはなかったが、お増は浅井に秘密《ないしょ》で、時々お雪に小遣いなどを貸していた。
「何だか自分の作った唄《うた》の本を出すんだとさ。」
 お雪は芝居の方がすっかり駄目になった青柳が、流行節のような自作の読売りを出版するその費用の融通を、お増に頼みに来たりした。
「あの人駄目よ。あんた一生苦労しますよ。それよりかあの人と手を切って、今のうち黒田に泣きついて、何とかしてもらったらどう。その話なら宅《うち》の旦那に相談したら、先方へ交渉《かけあ》ってもらえないこともなかろうと思うがね。」
 お増は、お雪が先に見込みもない芸人などに引き摺《ず》られているのを、歯痒《はがゆ》く思ったが、長いあいだ腐れあった二人のなかは、手のつけようもないほど廃頽《はいたい》しきっているのであった。
 前垂がけに、半襟の附いた着物を着て、ずるりと火鉢の傍へ寄っ
前へ 次へ
全168ページ中63ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング